甲子園口
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私的# 343
駅名 甲子園口
線区 東海道本線
捕捉日 1986/01/09_06:44
種別 赤六角
タイトル 「高校球児の夢と希望の駅」
他スタンプ  − 
今や産業化、あるいは工業化された感のある高校野球の聖地である。
筆者はその昔小学校だったころ、招待だったか何かで、初めて甲子園の阪神−巨人戦を、父と観戦に出かけた。甲子園球場に着いたとき、父が筆者に尋ねた。
「おいもこっち、一塁側の席と三塁側と、どっちがええんや?」
『三塁側』....と、本来V9直撃世代の巨人ファンであった当時の筆者なら答えるべきだったろう。だが甲子園球場を取り巻くタテジマ人間の群れに圧倒されたのか、はたまたライトな阪神ファン....というよりアンチ巨人な父に気を遣ったのか、筆者は考え込んだ。
「どっちでもええんやぞ、おまえの好きなほうで」
父も気を遣ってくれたのかもしれないが、一方で今考えるとそういう筆者のそういう性格を知って追い討ちをかけてきたのかもしれない。その通りに筆者は答えてしまった。
「....一塁側でええわ....」
....しかし群集心理とは恐ろしいものである。最初は狼の群れに迷い込んでしまった羊のように黙って心の中で巨人を応援していた筆者だが、回が進むにつれて当時内野でも許されていた鳴り物使っての三三七拍子に合わせて阪神を応援するようになってしまう。
....試合は山本和行が得意の変幻自在なフォークボールを駆使して巨人打線を手玉に取り、文字通り「虎の子」の1点を守って完封勝利を収めた。 不倶戴天の好敵手を倒して大歓声を上げる、当時黄色と黒のシマシマたちに混じって拍手しながら
「はて、私はここで何をやっとるのだ....?」
と考え込んだことを憶えている。
その後筆者はいくつかの紆余曲折を経て、常敗集団・横浜大洋ホエールズのファンとなり、数えて18年後の1998年にカタルシスを迎えることになる。人生というのはやり直しがきくものだ。しかしながら巨人の選手全てが嫌いだったわけではない。
長島にはあまり魅力を感じなかったし、今日のギャラクシー打線なんぞまったく興味もないが、居合の演武のように隙のないフォームから鮮やかなアーチを描く不世出の職人・王の打球の上昇カーブや、ひじを壊す前、カンサスシティ・ロイヤルズとの親善試合で、ワールドシリーズを制した強力打線を7連続三振に切って取った角の剃刀のようなストレートは今でも目に浮かぶ。
それにしても、関西に生まれていながら今日に至るまで、阪神という球団にシンパシィを抱いたことはほとんどない。これはやはり、このときのトラウマがなせる技なのだろうか。