NINTENDO NTR-034「バトル&ゲット! ポケモンタイピングDS」 |
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発売元/製造元 | 任天堂/言迷(大陸製) | |||||||||||
諸元 |
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Junk Point | ジムに行くつもりは毛頭ない | |||||||||||
以前にこのコーナーで その一方で、リテラシーが単一であった古の時代と現在では、どちらの方が人間の成長に適した環境なのかということも考えてしまうのだ。 今の日本の小学生で、何らかの携帯ゲーム機を持っていない人はほとんどいないのではないだろうか。 どの街角でも、どこの観光地でも、あるいは文教施設におらいても、周囲の喧騒に背を向けてひたすら画面をつつく小学生の姿が当たり前になっている。 現時点ではまったくの妄想ではあるが、社会における記述作業の全てをゲーム機型携帯端末とスタイラスとタッチパネルで行うようになったら....幼少時よりその手順に習熟した子供たちに対して社会の門戸は大きく開かれ、社会自体の運用効率も飛躍的に向上するのではないだろうか。 ....だが残念ながら、現実はそう甘くはない。 「ゲーム脳」の概念に科学的根拠が希薄であることは多くの研究者が認めるところであるにしても、とりあえず必殺コンボ発動で鍛えたボタン操作とスタイラス遣いは、高速で正確なブラインドタッチのためには○○の役にも立たない。 そんなわけで少年少女は、いつかは大人のリテラシーという「通過儀礼」と向き合うことになる(しけべな意味ではなくて)。 筆者がブラインドタッチを憶えたのは、卒業論文という、正に「必要に迫られたから」という理由以外の何者でもない。後にげしや~となったときに役に立ったのは、あくまで副次的産物なのである。 筆者の義父は、事あるごとに筆者に「かちかち山は火が付いたら走り出すもんですよ~」という人生訓を授けてくれた。これはその典型的な例といってよいのではないだろうか。
(2012/09/12記) |