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短期集中連載(笑)

−この物語は、フイクションである(?)−


その410

木下隆雄「我々の雑談連載が250回になんなんとしているわけですが、貴方はこのコーナーの歴史的意義について考えたことはおありですか」

小椋良二「そんなものは有りません。なので考えたこともありません」

木下「一面的なものの見方ですねぇ、それでは新大○保あたりで暴れている貶日派のうよな方々と同じですよ」

小椋「『ここの本質はやおいだ』といつか仰ってませんでしたか」

木下「それは確かにその通りですが....過去と現代を照らし合せてみると、未来において何かしら意義を持ってくるのではないかと思うわけで」

小椋「はぁ、それはどのような」

木下「たとえば今から100〜400年前の江戸時代、日本の大都市部住民は太平の世に退屈し切っていて、そうした日々の中で何か面白いことがあると日記に書き留め、その中からそれを出版する人々がかなりいたそうです」

小椋「なるほど、いわゆる同人的なノリですな」

木下「まぁそんなところでしょう。中には『鸚鵡籠中記(*1)』や『藤岡屋日記(*2)』のような膨大かつ貴重なモノも存在するのですが、そのような特殊な例は置くとしても、『○○の役にも立たないような有象無象の日々の記録が、大量に社会全体に拡散し閲覧できる状況』であったというのは、現代と同じではないかと思うのです」

小椋「確かにその通りですな」

木下「翻ってそうした江戸時代の日記が、今日に至り当時の社会風俗を知る研究の貴重な資料として俎上にあげられていることを考えると、今日のネットの海をクラゲのように漂っている無数のドキュメントも、そう遠くない未来、たとえば100年オーダーの未来人が我々の社会を知るための資料として活用することも十分にありうることなのではないでしょうか」

小椋「ご説尤もと思いますけど、個々のドキュメントにおける情報の齟齬...というか偏りは考慮に入れなくてよいのでしょうか。現にネット世界でかなりの占有率を誇る『ヲ』と呼ばれるサブカルムーヴメントを成す方々は、30年前には単なる『社会不適応の性格破綻者』として存在を認められてなかったように思うのですが」

木下「おそらく社会という母集団からの偏在は、母数の規模が大きくなるほど小さくなるのでしょう。如何に奇天烈な記録が後世に残されようとも、同時期に記録された他の情報と照合すれば、情報から推察される全体像に大きな歪みが発生しないはずです。江戸時代においてすらそうなのですから、質はともかく量的に遥かに莫大な情報が、劣化することもなくネットワークをそれこそ半永久的にウロウロしている今日の社会から発せられる情報の方が、一定の均一さを保った群をなしているのではないかと思うのです」

小椋「そうは言っても物理的に存在した書物ですらチリ紙にされたり、紙魚に食われたり、あるいは災害や焚き付けで地球温暖化に貢献したりして、全てが残されているわけでなないのですよ。電脳の世界にだって虫はいますし、それこそ隣の国から飛んでくる人工衛星とやらの先っちょに装備された爆発物から放射される電磁波で電気的に焚書されるようなことがあれば、大半は吹っ飛んでしまうわけですよ」

木下「は、はぁ...」

小椋「『21xx年、地球は核の炎に包まれた....だが人類は死に絶えてはいなかった』という世界で、僅かに生き残った鯖に保存された情報、その中身は○り○ら・○乳・B▲....などということになったら、歴史は大きく歪曲されるということになるでしょうねぇ貴方」

木下「な、なるほどそうしたすとれ〜じからガラクタ並べて写真を撮り、修理方法や毎度の如く『放置ぷれい』オチで締めくくった文書を羅列して悦に入ってるしとのドキュメントが発掘されても、同じような歪曲が発生するでしょうねぇ貴方」

小椋「それはそれで瓦礫と化した世界の復旧に役立ちますから」

木下「あーなるほど....てなんかちげうー」




木下「そんなわけで、本日も駄文ネタを探して街へ出よう」
小椋「本日ぢゃないでしょう、それになぜまた名古屋」
木下「朝日重章は尾張藩士でしたから。それに南部重工本社も星間戦役後いち早く復興なった名古屋市にありますし」
小椋「すみません。ついていけません」
木下「ではここで待っててください」
小椋「なるほど、お城のそばでそっち方面のアクチビチですね貴方は」
木下「ええーーと.....ではマターロ巡回しますか」


木下「そういえば前回のおまけに登場したあの画商さんなんですが」
小椋「あーあれですか、よく見ると第二アメ横内に普通に存在してましたね。場所的にはここら辺のような気がしますけど、『専門』といっていいのでしょうか、ラインナップの1/4程度で」
木下「実際の戦闘では損耗率25%で戦闘不能とも」
小椋「は、はぁ...しかしその画像がないのはやはりお一人様ではないからですか」
木下「そ、それはおいとくとしても」
小椋「ツカミも中身もキレがなさそうですしね」
木下「それは先々週までの管理者さん、今週はアタマから妙な方向にキレてます」
小椋「やはりアレか....」
木下「や、やはりアレですかねぇ...」



小椋「そんな30年前の餓鬼様にはこちら」
木下「ごあっ」
小椋「イマドキは○S○だのW▲▲だののソフトばっかしですが、確かこの手のボードゲームが漫画雑誌に載っていた遠い昔もありますた」
木下「買ったイ吏 彳走、いるんですねぇ...たしか数字が変わる軍人将棋みたいなやつだったと記憶しているのですが」
小椋「でも磁石で数字を回してるので、変化するぱたーんを覚えてしまうとつまらないのでは」
木下「買ってみれば分ります」
小椋「さ、次行きましょう」
木下「やり」



木下「そういえば貴方、NX/Cのニコイチというお題が残っていたのでは」
小椋「そ、そでしたっけ...ま復旧までの場つなぎでこの辺も使えるかも知れません」
木下「プロテクトモードも持たないV30でナニをせよと」
小椋「それよりもこのゴミ捨て場お店、全てのアイテムに値札がないのですが」
木下「を、をっとろし〜」



小椋「この手の物の品揃えでは地域一番店」
木下「ちうか、唯一店なのでは...やはり層の薄さが秋葉とは違いますな。そういえば貴方の所の御餓鬼様がこの手のましんをつかっておられたように記憶しておりますが」
小椋「あーあれね、踏んで割りました」
木下「親子で揃いも揃って」
小椋「しくしく....」



木下「しかし城ロムを漁っておられるのはいよいよSH-04Aの命脈ここに窮まれりということですか」
小椋「いえ、安けりゃ買ぉとくがなんぼや、ぐらいの感じで」
木下「他の店も巡回りましたが、2.2でも\10k走召えですか。こりは未だちと厳しい」
小椋「そこへ行くとこれなんか」
木下「あのー2諭吉なんですけど」
小椋「そこはほら、すらいど+SIMフリーということで」
木下「なんかきーとっぷに部首が書いてますよ」
小椋「ま、その辺はUNCF本部の街っつぅことで」
木下「それ、180年も先の話では」
小椋「未来に思いを馳せる者は、過去をも振り返る必要があるのです」
木下「をを、かんちょー」
小椋「言迷」


*1:尾張藩士・朝日重章の手による、日常を記した日記。
書き始めは元禄4年6月13日(旧暦、1691年7月8日)、書き終わりは享保2年12月29日(旧暦、1718年1月30日)。期間26年8ヶ月、日数8,863、冊数37、字数200万に及ぶ膨大な日記。

本人の日々の記録や身辺雑記はもとより、当時の心中・盗難・殺人・姦通なども含む数々の事件や噂話なども記されている。

また、尾張藩への批判や醜聞も多く記載されている。例えば4代藩主徳川吉通の大酒などの愚行を記述し、藩主と追従する重臣を批判している。またその生母本寿院の好色絶倫な荒淫ぶりをいくつも記載していたり、当時の生類憐愍の令について、尾張藩においてほとんど取り締まりをサボタージュしていた事実も記載されている。

鸚鵡籠中記は重章の死後ほどなく朝日家が断絶し、尾張家が藩の書庫に秘蔵し、以来昭和40年代までの250年余りにわたって存在のみが伝えられ、内容が一切世に出なかったが、こうした内容が、公開がはばかられた背景と考えられている。


*2:江戸時代末期の江戸を中心とした事件や噂などを須藤(藤岡屋)由蔵が詳細に記録した日記を編年でまとめたもの。全152巻150冊。採録時期は文化元年(1804年)から明治元年(1868年)までの65年間に及ぶ。日記原本は、関東大震災で焼失した。

藤岡屋由蔵は神田の御成道(おなりみち、現在の秋葉原周辺)で路上に筵を敷き、露天で古書店(貸本屋とも)を始める一方、江戸市中の事件や噂・落書などの記録に精を出し、それらの情報を諸藩の記録方や留守居役に提供して、閲覧料で生計を立てる情報屋のはしりとなった。
『藤岡屋日記』は、町触や幕政の記録、火災・飢饉などの被害状況(特に安政大地震は詳しい)、出開帳・芝居・見せ物などの評判、町民の噂、錦絵・瓦版などの出版物やその統制、殺人・強盗・喧嘩などの事件、さらには幕末期の軍事行動にいたるまで、江戸住民から集めた情報を詳細に記録している。

(*1,2とも出典はWikipedia)


--おまけ--



....その410へ続く(次は光学ドライブだ)