短期集中連載(笑)
....40年前、「その瞬間」は、私とアイザックが予測した通り正確に、そして唐突に訪れた。 火星衛星軌道上の無人重力探査衛星「軍神」が、計器が振りきれるほどの異常値を示した後に消滅した。その直後、ほぼ同時刻に、ヴァルハラシティ中央オペレーションセンターに設置された巨大モニタから、太陽系第三惑星の青い姿が一瞬のうちに闇の中に消え去った。 予測されていたこととはいえ、心の準備ができないまま訪れた母星の終焉を目にして、しばらくの間人々は思考停止状態にあった。目の前で起こったことに現実感が湧かないようだった。 しかし、モニタが変わらぬ事実を映し続けるうちに、人々の間から嗚咽と嘆息が漏れ、そしてそれは次第に拡大し、号泣と悲鳴へと変わった。 「....予想通りだわ。ポーレン通信士、月へ回線開いて」 「....は....はい...?」 「何をぼーっとしてるの。アルキメデス月基地へ通信。安否を確認するのよ」 「し、しかし....あれでは....」 「貴方は目までどうかしてしまったの?私たちの月はほら、あの通りよ」 それは奇妙な光景だった。 地神に寄りそう妖精のように頼りない光を放っていた月。その伴侶の消滅と共に、後を追うと思われていた彼女が、暗黒を背景に光を放っている。心なしか今までよりも明るく。 それは永遠に失った恋に区切りをつけ、新しい人生を生きようとしているかのようだった。たとえそれが、暗闇との道行きであったとしても。 自転軸のブレが増幅し臨界点を超えた「特異点」。それは瞬間のうちに分裂し、時空の壁を跳躍して地球を直撃した。 しかしながら私たちは、地球が特異点の潮汐力によって縮壊するのを見たわけではない。 分裂した特異点は私たちの予測した通り、「虚数分裂」と呼ばれる特殊な分裂を生じ、その一点が地球上に到達したのである。 この分裂によって発生した「虚数中心」と呼ばれる特殊なブラックホールは、通常は常空間上に展開される事象の地平線が、点の「内部」に収束・展開され、「ほかのどこか」へとつながっている。この虚数中心と接触した常空間の天体は、その内部へと「覆い尽くされ」、何の前触れも無く元あった空間から消滅するのである。 ただ、この虚数中心は常空間上の「回転する点」でもあり、質量を有している。奇跡的ではあるが、地球を覆い尽くしたこの点の質量は、地球のそれに非常に近く、また回転している故にシュワルツシルト領域も狭いものだった。そのため月は、地球消滅後もこの「虚数中心」を公転軸として、何事もなかったかのように天空を運行しているのであった。少なくともマクロ的には。.... .....「生存者の確認はトッププライオリティーよ。直ちに連絡」 私はスクリーンから目を離さず、通信士に発令した。 「は、はい.....」 慌てて通信士がインカムを取り上げる。 「特異点監視チームは分裂前後の状況を調査。各点の正確な位置を検出するように」 周囲から人々のざわめきが聞こえる。 "信じられない....何だあれは...." "心まで固体窒素で出来てるんじゃないか" "俺達の母星が消えたって言うのに...." そんな囁きを、私は完全に黙殺した。 痛みや嘆きなど、とうに心の奥に封じ込めていた。 「私は私のやり方で復讐してやる......」 僅かに細めた瞼の隙間から、歪んだ星々に縁取られた闇を射る様に見つめた。 私から「全て」を奪った、あの虚空に浮かぶ闇を..... ....それからの私は、取り憑かれた様に「虚数中心」の研究に取り組んだ。 既に今世紀初頭には、「回転する特異点」を利用した空間跳躍については、その可能性を否定できない、という仮説が立てられていた。ただ、いかにその「事象の地平線」の潮汐力が弱いポイントを特定するか、そして潮汐力の源である強力な重力をいかに「中和」するかが課題だったのだ。 だが、私たちの前に現れた「虚数中心」はいずれの課題をも解決できる可能性が大きく開けている。「強力な事象の地平線」は「特異点」の「内側」に展開され、そして常空間における「事象の地平線」は、両回転軸の極に4次元漏斗状に極めて弱い部分が分布している。 様々な思考錯誤を繰り返した私たちは、そして2198年、ついに地球公転軌道上と木星近傍に位置する両虚数中心間の空間跳躍技術を開発することに成功した。 既に世代交代が進み、あの「破局」を目撃した者が数少なくなっていた現場は、「試験航行成功」の一報が、復興なったルナシティーから60分遅れで届いた瞬間、大歓声に包まれた。 そんな中、暗黒の球面を背景に月表面へと緩やかに降下していく試験船を、私は無表情に見守っていた。 人類に未曾有の災厄をもたらした存在を、人類の為に活用しようと粉骨砕身した.....というのは表向きだった。私は私の心の渇きを癒すためだけに、研究に没頭していたのだ。 だが人類の夢が成就した瞬間、私のそれが叶わぬ願いであることを悟らざるを得なかった。 "これから私はどうすればいいのか....." 70歳を目前にして、既にSD-3の統括責任者の地位にあった私は、だがいつも部下たちの一部が賞賛、そして大部分が揶揄する冷徹沈着な表情の裏側で、深い闇のような自己喪失感に苛まれていたのだった。・・・・ |