変な話Indexへ戻る

短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その241


・・・・アイザック・ダグラス(36)のプライベートルーム。
息せき切って駆込んだ私の前で、彼は荷物をまとめていた。
「やあ、ミレイ。どうした?何か特異点に変化でも....」「どういうつもりなのアイザック?!こんな時に木星を離れて地球だなんて....」
「ああ...そのことか」
「『そのことか』ですって!!今この瞬間も特異点がどうなるかわからないのよ!今から地球に向って無事に帰ってくる可能性なんて....」
「そのとおりさ」

あまりにもあっさりとしたアイザックの返事が私を絶句させた。
「ねえミレイ、あの日から君と共同で可能な限り正確な特異点のシミュレートモデルを作って、そのケースによって様々なエクソダス・プランを組んだよね?あとは実行チームに任せて大丈夫というレベルまで」
「それは....だけど....」
「君の国のSF作家が1世紀前に同じようなクライシスを書いてたっけ。あのお話のような奇跡は望むべくも無いけど、それでも人類が生き残る算段はできた。後は僕が自分で為すべき事をなす時だ。そう思ってる」
「為すべき事って.....貴方の為すべき事はここに残って人類の将来を築く事に尽力する事だわ。『私たち』には貴方がまだ必要なの。今地球に向ったら、もう...」

新国際連合によって秘密裏に選ばれた人々を乗せた地球からの脱出船団は、すでに第2陣が到着しており、『ヴァルハラシティ』の人口は800万人を突破していた。
今航行中の3・4船団、そして残る第5船団も間もなく地球を出発する。移民船団はそれが全てだ。もうピストン輸送を行なおうにも間に合わない。

「そのとおりだよミレイ。僕は戻るつもりはない」
「・・・・・」
「僕は木星でやるべき事をやった。もう故郷へ戻りたいのさ」
淡々と、少し遠い目でアイザックは言った。

その姿に、私はついに彼の気持ちを捕まえられなかったことを悟った。
閉じ込めていた私の想いが、鍵を打ち壊して溢れてきそうになる。

「....リツコじゃなきゃダメなの....?」

うつむいたまま呟いた私の言葉の意味を、アイザックは理解できなかったらしい。

「....ああ、彼女にはずっと寂しい思いをさせてしまったからな。国連もおそらくSDメンバーということで、彼女を意図的に脱出人員から外しているだろう....だからせめて最後ぐらいは一緒にいてあげたいと思うんだ。僕たちの事を心配してくれる君の気持ちは嬉しいけど、僕たちは地球で最後の日を迎える。多分それが運命なんだと思う」
「・・・・」
「君には感謝してるんだ、ミレイ。いつも僕たちのことを支えてくれて....遠く離れてしまうけど、君はいつまでも僕たちの親友だ。そう思ってる」

私は自分の体が震えるのを、ぼんやりと感じた。焼け付くような頬の感触は、多分私の涙のせいだろう。

アイザックが私の肩に手をかけた。
優しく、そう、ただ友人に対しての気遣いだけで優しい言葉をかけてくれる。

「....さあ、最後にまだあと少しやるべきことがある。ラボへ戻ろう」

私の肩から手を放し、アイザックはドアへと向かう。
その広い背中を見た時......私の中で「それ」が弾けた。

「・・・・」
「どうした、ミレイ....」
背中から彼を抱き止めた私に、彼は意外な表情を向けた。
「..........」
「え?」
「地球に行くなら.....私を殺して....」
「....何言ってんだミレイ....」
「アナタなしで生きていたくなんか無いの....それが出来ないならせめて....私を抱いて...」
「何を....放してくれミレイ」
「リツコがいてもいい....」
「ミレイ、君は...」
「私は2番目でもいいの....」

....長い沈黙が流れた、その後。
アイザックは私の手をほどいて、私に向き合った。
「....いつから.....」

彼の胸に顔を埋めながら、私は呟いた。「ずっと.....」
"そう、ずっと前から.....リツコなんかに負けないくらい...."

「だから...お願い.....今は私だけ....」

私は最後までいい終える事が出来なかった。
アイザックの唇が、私が言葉を発するのを封じ込めたのだ。

ひょっとしたらそれすらも『別れ行く友人への思いやり』だったのかも知れない。
いや、彼のリツコへの想いを知る私には、そうとしか考えられなかった。

だけど、私にはそれで十分だった。
音もなく、私のスーツが床に滑り落ちた。
彼の手が、低重力/低陽光下で痩せて青白くなった私の体を優しく愛撫する。
私は彼の背中に回した手に、力を込めた。....

....どのくらい眠っていたのだろう。
肉視窓の外には、緋色の巨大な天体が覆い被さるように天球を埋め尽くしているのが見える。
微かなエアコンの風が、私の素肌を撫でていく。
いつのまにか部屋の中も片づけられ、彼の体温はすでにベッドに残っていなかった。

私は彼が私の体に残した温もりと、あの瞬間の痺れるような感触が逃げていかないように、シーツを引き寄せた。
そして....小さな封書を見つけた。彼から、私宛ての。

”親愛なるミレイへ

君がこの手紙を読む頃には、僕はもう地球へと旅立っているだろう。
君にサヨナラも告げずに去っていく僕を許して欲しい。

君と僕とのことは、ずっと僕の胸の中に仕舞っておくつもりだ。そのことについて、リツコに告白しようとも、ましてや君に謝罪しようとも思わない。

ただひとつ言えるのは、君が僕にとって大切な人だということだ。
男の都合の良い逃げ口上と取られれば一言も無いが、それが偽りの無い僕の気持ちだ。

今になって思い返すと、君と過ごしたベースでの日々が鮮やかに甦ってくる。僕にとっては過去の思い出になってしまうが、君にとっては未来への道標であってくれたら、僕にとって望外の喜びだ。

元気で。いつまでも君のことは忘れない。

永遠に君の友人でありたい アイザック ”

私はベッドサイドの時計を見た。
標準時8月3日午前4時30分....地球への最終連絡便が出発して既に4時間半が経過していた。
特異点の方角へと向かう赤色のフレアが、もはや周囲の星と見分けがつかないほどに小さくなっている。

シーツを巻きつけた胸に彼からの最後の手紙を抱きしめて、私は少し泣いた。

そして....スーツを着て彼の部屋を出るときには、もういつもの自分に戻っていた。・・・・

....その242へ続く(Purple Ipheion)