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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その238

白銀のビルの谷間を、冷気を孕んだ北風が吹き抜けていく。

人々がさざめき合いながら歩み去る並木道の向こうに、鮮やかな単一色の空が広がり、港の向こうの少しくすんだ藍色の海へと続いていた。

すっかり落葉の終わったイチョウの木の下に佇んで、私は空を見上げた。

この街の人の表現を借りれば「抜けるような青空」とでもいうのだろうか。
私の見なれたものの中では.....それは太陽系第8番惑星のガスの色に似ていた。

その蒼穹の一点で輝く大きな太陽を視線の外に追いやりながら、吸いこまれそうな冬の空に向かって、深呼吸をひとつ。

私、金城ミレイ(73)にとって、半世紀振りに眺める故郷の空。....



....「ご乗船のお客様にご案内申し上げます。本船はまもなくノイエザルツブルグ宇宙港を出航致します。出航後2時間ほど4G加速を行いますので、お手数ですが各自所定の耐Gカウチシートにご着席下さい。ガニメデ・ディラックゲートまでの所用時間は約18時間を予定しております....」

木星第8番衛星カリスト・ヴァルハラシティーの西端にある宇宙港。
その外壁から宇宙港の滑走路へ出ると同時に、定期観光船の窓の外は人工の「太陽自然光」から、天球の大半を占める極彩色の縞模様へと一変した。

私はカウチシートに腰を下ろし、調光シールドのスイッチを入れてラップトップコンピュータを開けた。久しぶりのオフとはいえ、まだスタッフ達に出しておく指示が片付いていない。特に今回の....「失礼します」
「何か?」
「お仕事中恐れ入りますが、まもなく出航でございますので、シートをホールドモードに切り替えお願いします」
「わかったわ」私はキャビンアテンダントの若い男に微笑んだ。
「あの...失礼ですがミレイ・キンジョウ司令で?」
「ええ、そうよ」
「恐れ入ります....あの...サインをお願いしたいのですが....」
緊張と畏怖と憧憬の入り混じった、まだあどけない表情のアテンダントの手から、私に向けてペンとメモ帳が差し出された。
「喜んで。お名前は?」
「ダリル・ベインです」
私は素早く、別の言い方をすればおざなりにペンを走らせ、その男に返した。
「ありがとうございます。よいご旅行を」
「ありがとう」

興奮気味の男が去ってしまうと、私は再び仕事にかかった。

一通りの伝達を量子送信し終わる頃に、ようやく窓の外の風景が動き始めた。透過率を少し上げて、私は窓の外をぼんやりと眺めた。
今ごろヴァルハラシティーの中心にある私のオフィスでは、みんなが噂していることだろう。

....「それにしてもどういう風の吹き回しだ?ミレイ司令が休暇だなんて....」
「勤続45年、年中無休と来てるからなぁ...働きすぎてアタマにきたんと違うか?」
「あの『鋼鉄の婆さん』がか?どう見てもボケたようには見えないぞ」
「ま、どうせ向こうに行ったって指示は入れてくるだろうよ。気ぃ抜いてっとまたドヤされるな」
「そうだな....並列宇宙に飛ばされたってSD-3の仕事仕事だもんな、司令は」
"違いない"と、みんなが頷いた。....



SD(Solar-system Developement)は、20世紀後半、宇宙開発の黎明期をリードしてきたアメリカのNASAが発展的に解消し、航空宇宙技術を持つ各国が、その開発コストを削減する目的で設立した事業団である。

その組織は大きく3つに分けられていた。
設立当初最大の規模を誇った、地球引力圏内の技術開発を行うT課。
月面への都市建設を目標に、各種技術開発を行うU課。
外惑星や、近傍の恒星系への探査を行うV課。

大学院を出たばかりの私がNASDA経由で配属されたのは、当時もっとも注目度が低く、予算も3課の中で一番慎ましやかだったSD-3だった。

そんな状況が一変するのは、2158年に太陽系に突然「来訪者」が侵入して以降である。

ニュートリノ検出器「スーパーカミオカンデW」が突如異常なまでの値を示したのは、その年の6月であった。
ほぼ時を同じくして、SD-1によって改修なったハッブル宇宙望遠鏡が、世界で初めて重力レンズ効果による顕著な恒星の二重像の撮影に成功した。

私を含めて全ての天体物理学者がこの観測に興奮し、そして戦慄した。
「事象の地平線」を持つ暗黒の点が、誰にも気づかれないうちにこの太陽系の内部に侵入していたことを、全てのデータが裏付けていたのだ。

だが、このきまぐれな大食漢はあまり勤勉ではなかった。
外惑星の公転軌道を通過した特異点は、火星の公転軌道付近にある、太陽系の重心ともいえる各星の重力波干渉点に腰を落ち着け、あたかも太陽系の一員となったかのように太陽の周回軌道上を回り始めた。

やがて私たちSD-3の航空宇宙開発チームが、この特異点の利用法を考案する。それはこの重力集約点の形成するシュワルツシルト領域をかすめるスイングバイだった。

この方法を利用すると、それまでフライバイでも4〜6年かかっていた木星付近までの飛行が、約1年あまりにまで短縮することができる。しかも地球衛星軌道上の国際宇宙ステーション「ガイエ2」から発進すれば、必要とするエネルギーは、かつて人類の宇宙における活動領域が地球重力圏に限られていた頃からの指標であるPFI(化学燃料消費率)にして従来の実に8%に過ぎない計算になる。

公転速度の関係から、ここ120年ほど先までは地球との距離がそれほど遠くならないこの特異点を利用して、外惑星への有人航行が一気に現実のものとなったのだ。

2160年4月、わずか8名の航宙オペレータが率いる15隻の先遣船団が木星の惑星カリストに到着し、前線基地を築くことに成功した。

そして年が変わって2161年、第二次派遣船団のメンバーの一人として、そして初めての女性外惑星基地隊員として、私は地球を離れることになった。

木星周回軌道に乗るための姿勢制御スラスターのフレアを肉視窓から眺めながら、私は1年前のことを思い出していた。・・・・

....その239へ続く(Blue Roses)