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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その226

ウタタネソウ

・・・・かなわない思いは 胸の中にしまい込まないで
あの空の向こうに そっと解き放してあげましょう・・・・

少し春めいた日差しが、まだ若芽の街路樹の隙間を抜けて地上へと降り注ぐ。
木々の足元では、白い八重の小さな花がちらほらと咲き始めていた。

中沢雅子(25)にとって、引っ越して間もないこの都会で何度目かの休日だった。

不安を感じる暇も無い、研修医としての日々。
だが雅子にとって、何もすることのない休日は、もっとつらかった。自分がひとりであることを確認するようで....

昨夜の雨のせいか、いつもよりも空気が澄んでいるような気がする。
ビルの間に見える小さな青空を、雅子は見上げた。

"こんなお天気の日だったなぁ...."

....何ヶ月か前の卒業式の日、雅子はいつになく思いつめた顔で登校した。
いつも飾り気のない雅子らしくなく、新調したばかりのスーツと、うっすらと慣れないメイク。それに....ブティックの店員に薦められるままに、勝負下着まで揃えてしまった。
自分の心を見透かされているようで、雅子は顔から火がでるかと思うほど恥ずかしかった。

そう....自分の人生で、心に初めて宿った気持ち。
勉強に明け暮れた20数年の人生で、はじめて好きになった人....

退屈な卒業式がようやく終わり、雅子の大学のある地方都市では一番大きいホテルでの謝恩会へと席は移された。

喧騒の中で、雅子は中本正志(24)の姿を探した。
「中本クン」
「ああ、中沢さん」
賑やかな雰囲気に少し疲れたのか、正志はひとり壁際でグラスを片手にたたずんでいた。

正志は雅子と学籍番号が近いため、よく実習で一緒になった。
理論的で堅実な雅子と、直感的で手際のよい正志は、実習相手としては理想的なパートナーだった。実際の作業も、そしてレポートの提出も、いつも2人が一番早かった。

実習が終わるまでのあまった時間、よく二人は実習室を抜け出して、学食でとりとめもない話をして時間を潰した。
....そんな日々が繰り返されるうちに雅子が自分の気持ちに気づいたのは、5年も終わりに近づいた頃だった。
だが、雅子のそれまでの人生が正志に気持ちを伝えることを躊躇わせた。
正志は正志で、雅子のことをクラスメイト以上には思っていない....ように雅子には思えた。
しかし、その気持ちを確かめられないままに、今日という日が来てしまったのだ....

2人はガラス戸を開け、パーティーホールに面した庭園に出た。
中の騒ぎとは対照的に、穏やかな春の日が満ちている。

「....卒業式、つまんなかったね」
「うん....まああんなもんだろう。どうせ出ないヤツもいっぱいいるし。だけど中沢さんは主席だからそういうわけにもいかないしね」
「うん....」
そんなことはどうでもよかったのだ。今日出席したのは....

思いがこみ上げ、胸の高鳴りを覚えながら雅子は意を決して口を開いた。

「正志サン..あの...」「中沢さんはどうするんだっけ?卒業したら....」

「あ....うん....東京の病院で研修するつもり....正志サンは...?」
「遠洋船の船医....オヤジがそうだったしね。これが終わったらすぐに出航さ」
「.....」
繰り返した、いつもと違う呼び方。
それにこめられた、雅子の想い。
正志は、それに気がつかなかった。

「....いつ帰ってくるの....」
「帰ってくるのはかなり先かな。でも自分、すっごく燃えてるんだ。元々旅好きだし、何せタダで外国に行けるし、どっちかっていうと外科のほうが自分に向いてそうだし....」

言葉を続ける正志に、雅子は最後の想いをぶつけようとした。

"じゃ...これから私と...."

「そうね....中本クンなら大丈夫だとおもうよ」
口を突いて出たのは、気持ちと裏腹な言葉だった。
「ありがとう。中沢さんも頑張ってね」
「うん。大丈夫」
「結構寒いな....中に戻ろうか」

雅子は、踵を返した正志の背中を見つめるだけだった。
(バカ、ワタシのバカ....!!)

何日か前、弟と電話で話したことが頭によみがえる。
「ねえケンジ....オトコの人って女性から『付き合ってください』って言われたら、どう想うものなの?」
「なんだい藪から棒に....」
「いいから、ねえどうなの?」
そもそもシャイで彼女もいない弟に聞いたのが間違いだったのだが、彼女の期待した返事は返ってこなかった。
「そうだなぁ....まあなんつうか、ちょっとうざいってカンジかな」
「そ、そうなの?」
「まあ....全然嬉しくないこともないけど、急に言われたらちょっとメイワクっつうか」
「そなんだ....」

遠ざかっていく正志に声をかける最後のチャンス。
その機会を、心にひっかかった弟の言葉が永遠に失わせた。

まだ少し寒い春風の中で、慣れない下着と高めのヒールの感触が、雅子の身体を締め付けるようだった。....

...."どうしてるかなぁ....中本クン..."
もう遠くなってしまった彼のことを考えながら、青い空の彼方を見やる雅子の胸に、ふとある言葉が浮かんだ。

・・・・かなわない思いは 胸の中にしまい込まないで
あの空の向こうに そっと解き放してあげましょう・・・・


花屋の軒先に、鋳物の古く重厚なベンチがある。
そこに、いつものように腰掛ける石崎ハル(82)の姿があった。

ほぼ毎日、朝10時の開店から正確に30分後に現れ、花屋の主人にあいさつをした後、3時までそこに座っている。
通りすがりの顔見知りと一言二言話をすることはあるが、それ以外は何をするでもなく、ただぼんやりと通りの街路樹を眺めている。
少し前から、季節はずれの陽気に誘われてその根元に白い八重の小さな花が咲き始めているのにハルは気がついていた。

"そういえば....あの人もあんな花が好きだったわ...."
鉢植えの花を前に、デッサンから色合わせまで、油彩を彼女に教えてくれた人....

....「じゃあ、また来るからね」
「うん....」
「大丈夫?今日は泊っていこうか?」
「....いい。大丈夫だ」
ハルの夫、文博(80)は酸素吸入のチューブをつけた口元で少し笑った。

"大丈夫なはずがない...."

「左の網膜癌が右と頚部リンパ節に転移していますね。残念ですがこれ以上の手術をするよりも、これからは文博さんの痛みを和らげる治療に転換します。よろしいですか?」
....そう宣告された日から、およそ半年。

おそらくは耐えがたい痛みがあるはずなのに、そんなことはおくびにも出さず、むしろ病気がちなハルの身を案じ、自ら介護婦を頼んだ文博だった。

....だからこそ、言葉にならないものがハルにはよく分かる気がする。
だが、夫の彼女を思いやる気持ちを無にするのも申し訳ない気がする。

去り難い気持ちを吹っ切るように、ハルは握った文博の手を離した。
「じゃ、また明日来るからね」
同じ言葉を、また繰り返した。
「よろしくお願いします」
....病室の隅で繕い物をする、ハルとあまり歳の変わらない介護婦に彼女は声をかけた。
「....ハイ」
半分眠っているような声が、ハルの気持ちをまた苛立たせる。
だが、夫の前では温和な顔でいたい。

もう一度、ハルは文博に笑顔を向けた。
「じゃあ、またね」「....うん」

それがハルの聞いた、文博の最後の言葉だった。

夜半に病院から緊急連絡があり、病院に駆けつけたハルが目にしたのは、数時間前まで話していた夫の亡骸だった。

「ナースコールになんとか手を伸ばそうとされていたようなのですが....看護婦が巡回に来たときにはもう....及びませんことで申し訳ありませんでした」

医師の言い訳ともつかないような説明を空耳のように響いている。
ベッドの傍らでは、喧騒にも我関せずといった風情で、介護婦が寝息を立てている。

ハルは夫の痩せた頬に手を伸ばした。
まだ温かみの残る文博の顔に、まるで眠っているような穏やかな表情が浮かんでいる。声をかければ、またいつものように微笑みながら目覚めてくれるような気がした。

少しずつ冷えていくその身体の感触を忘れまいと、ハルはいつまでも夫の頬を撫でつづけていた。....

....風に揺れる小さな花を眺めながら、ハルはまたあの時のことを思い出す。

"どうして最後に、一緒にいてあげられなかったのだろう...."
"どうして彼の最後の言葉を聞けなかったのだろう...."

あの日からもう何年も経つのに、その思いは今でもハルの胸の中にある。
ふと、ハルは街路樹の間から見える空を見上げた。

そのとき、不意にいつか夫と2階のアトリエから見た、春霞の山並みが甦った。
"そうだ、あの時も...."
あの時も何か、ハルは思い詰めていたことがあった....ように思う。
それが何だったかは思い出せないが...

"あの時も....確かあの人は私の気持ちを癒してくれた。何て言ったっけあの人、確かそう..."

・・・・かなわない思いは 胸の中にしまい込まないで
あの空の向こうに そっと解き放してあげましょう・・・・


目の前を通り過ぎる靴の群れを、松井寛治(19)はぼんやりと眺めていた。

"....またここに来ちまった...."
膝に乗せたギブソンのDOVEに視線を落とした。

"お前ソレ、ぜってェウデ負けしてるって!..."
一目見て買うと決心し、バイトに次ぐバイトの末にようやくゲットし、相棒のイサムに見せたときの第一声がそれだった。

....そのイサムは、もう隣りにいない。....

....いつものように、寛治はイサムと馴染みのスタジオで待ち合わせた。
「イサム!.....どうだった?!」
「....ああ....通ったよ」
少し投げやりなイサムの態度に訝りながらも、寛治は喜びを抑えられなかった。
「ま、まじかよぉっ?!やったなおい!!ついにやったな!!」
....だが、躍り上がらんばかりの寛治から、イサムは目をそらした。

「何だよおい....さっきからあんまり嬉しそうじゃないじゃないかよお前....」
寛治がイサムの腕をつかんだ。
「なあどうしたんだよ、オーディションには通ったんだろ?」
....目を逸らしていたイサムが、意を決したように寛治をまっすぐに見た。
「ああ、通ったよ。だけどな、アイツら最低だ!!」

吐き捨てるように言ったイサムに寛治は驚いた。

「何だよ?なにムカついてんだよぉ....?メジャーのチケットを手にしたんだろオレ達?それなら....」「オレ達じゃねエんだとよ!」
「なんだよソレ?どういうことだ?」
「あいつら.....『ボーカルのお前だけ欲しい。お前だけなら今すぐにでもデビューだ』だってよ。話になんねぇよ!」

「....」
「....」

二人の間に気まずい沈黙が流れた。

2人のユニット、"I;Kicks" はイサムがボーカルと曲作りを担当、寛治がギターをやっていた。いつの頃からか、そうなっていた。
ストリートでの演奏はいつしか黒山の観衆を生み、ライブのチケットはあっという間に捌けた。インディーズで出していたCDに注目したメジャーレーベルから『ライブが見たい』と連絡があり、トントン拍子にオーディションまで話が進んだ。

"互いが相手のキャラを判り合い、そのコラボが結果を生んだ"
そう信じて疑わない2人だった。
ついさっきまでは....

....沈黙を破ったのは、イサムだった。
「オレ、この話断ってくるよ。やっぱりオレ...」「よかったじゃないかイサム」

"え....オレ今何て言った?"

「....オレたちのやってきた音楽が認められたってことだろ、それって?第一オレ達の演ってるのはオマエの作った曲じゃねえかよ....だったらいい話じゃねえかイサム。ぜひそのオファー受けろよ」

"オレ....今どんな顔して言ってんだろ...."
心の中で噛み締めた唇が裂けて、血が噴き出しそうだ。

「バカってんじゃねぇよ....オレはお前がいなきゃオレじゃねえんだ。オマエのギター無しじゃオレは歌え....」「イサム!!」

爆発しそうな血走った目で睨みながら、寛治はイサムの胸倉をつかんだ。

「オメエってそんな情けないヤツだったのかよ、見損なったぜ!オマエの夢はオレの夢じゃなかったのか?!」
「....」
「なあ、たのむよイサム。俺たちがやってきたことを、世の中のやつらに見せつけてくれよ....それがオレの夢でもあるんだ....」
「寛治....」
「その代わり約束だ。1stライブの最前列はオレの予約済みだぜ」
「わかった....すまん寛治....」
「もう何も言うなって....じゃあな」

....さっきまでねじ伏せていた気持ちが、頭をもたげてくる。
それをイサムに悟られまいと、寛治は席を立った。

「飲ってかないのか、寛治....」
「すまん。今日は一人にしといてくれ....」....

....あの日から、イサムには会っていない。
今ごろはメジャーデビューに向けて、音作りでもしているのだろうか。

そして、あの日々と変わらず、街角に座り込む自分がいる。
だけど、あの頃のようにギターをかき鳴らす気になれない。

"オレってバカだよな....みんなヤツにおんぶに抱っこだったのに....オレだって何かやってる気になって舞い上がって...."

暖かい日差しの降り注ぐ街角で、寛治は人々の合間から見え隠れする青い空を見上げた。
腰掛けた縁石の傍らで、白い八重の小さな花が風に揺れている。

"そうだ....いつだったか、自分で作った歌もあったな...."
たしかギターを覚えたての頃だった。むしゃくしゃする自分を落ち着けようともがいていたあの頃。
寛治はギブソンを構えた。

"・・・・かなわない思いは 胸の中にしまい込まないで
あの空の向こうに そっと解き放してあげよう・・・・"

通り過ぎる人並みの中、一人の女性が寛治の歌に足を止めている....

花屋のベンチに座っている、よくみる老女がこちらを眺めている....

街の片隅で、白い八重の小さな花が風に揺れていた。....

....その227へ続く(ウタタネソウは本来初夏の花)