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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その205


・・・・居間のガラス障子の向こうに、庭の紫陽花がこんもりとした花をいくつも開いている。
諸岡謙二(64)と妻の和美(66)はタクシーを降り、玄関に駆け込んだ。
無造作に上着を放り出す謙二。
「あらあら貴方、ちゃんとかけとかないと型が崩れますよ」
「いいよ。どうせ礼服なんか着るのも、しばらくはないだろう」
「だけど冠婚葬祭はこれで終わりじゃありませんし....」
和美は笑って、謙二の上着の水滴を丁寧に手ぬぐいで拭った。

それにしても、どうして日本人のくせに『6月の花嫁』なんてのにこだわるのだろう。別にいつ結婚したところで幸せになれるかどうかは当人たちにかかっているのに....

"だって昔っから決めてたんだもーん"
わがままに育った三女の理沙がそう言って舌を出したのは、結納の席でだった。

横で彼女の夫になるはずの男が緊張して固まっていた。おそらくは全てを理沙が仕切って話を進めているのだろう。その姿を見ていると、まるで40年前の自分を思わせる。そう、全てが周りのお膳立てと知らなかった頃の自分....

「三人も出て行くと、この家も広かったんだなぁ....」
「そうですね。一人も残ってくれなかったですね」
「まったくだ。こんなもんなのかなぁ、人生なんて」
そう、そんなものかも知れない。人生なんて....
「あなた....」
和美が気遣わしげな表情で謙二を見た。
「いや、いいんだ。この年になってなんとか三人の人間を無事次世代として世に送り出すことが出来た。これで十分だよ。満足してる」
「....」
和美は言葉を失った。

「私は自分のために自分の課題をこなしていく人生だったんだ。最初の何十年かはそれに気がつかずに、そして知らされてからそれを受け容れるための何十年、そしてこれからまた新しい何十年かが始まる。結構面白い人生だったと思うよ」

謙二が和美と結婚して数年後、謙二の両親が相次いでこの世を去った。
残された遺言から、謙二が全てを知ったのはその時だった。

....和美が居住まいをただし、意を決したようにまっすぐに謙二を見た。
「あなた、今日までありがとうございました」
「ああ....その言葉を聞くのは今まで生きてきた中で三回目だね」
その言葉を残し、謙二の許を去っていった人達。別れの度に謙二の許には、癒えぬ心の傷と、それを自ら包み込むことのできる大きくなった自分が残されていた。
「和美、君にも本当に感謝している。ありがとう。私の人生を豊かにしてくれて」
「子供たちや世間の人達は何て言うでしょうね、私たちのこと」
「まあ典型的な『熟年離婚』じゃないか。いいじゃない、それで」
「それもそうですね」
和美と謙二は笑いあった。

ようやく訪れた梅雨の晴れ間。
翌日の月曜日は、夏近しを思わせる青空が広がっていた。
そして、謙二の自宅はまた少し広くなった。
「では....お元気で」
ごくわずか残った身の回り品だけを鞄に詰めて、玄関先で和美が謙二に頭を下げた。
「ああ、和美さんも」
謙二は昨日まで妻だったその女性に最後の笑顔を向けた。

門のところまで出た和美は、もう一度だけ謙二に会釈し、そのまま歩き去った。
玄関に一人残された謙二。
やれやれ、これでようやく一段落だ....さて、どうしようかな...
振り返った我が家は、ひっそりと静まり返っている。

....不意に、謙二の心の中で何かが頭をもたげた。

.....美....和美....和美....和美!!

サンダルをつっかけ、表に飛び出した謙二。
駅への一つ目の角を曲がった所で、声の限り名前を呼んだ。

そこには、驚いて振り向く彼女の姿があった。見詰め合ったまま動けない二人。

....だが、やがて穏やかな微笑を浮かべた彼女は、彼に一礼すると角の向こうへと姿を消した。

....動けないままの謙二がそこにいた。....



「....なるほど、『職業としての再生産』か。しかし対象者が基本的に男性というのは問題がないかね?」

「部長、このシステムの最終目標は『再生産』そのものではありません。『再生産に対応できる成熟した人格の育成』を目指したシステムなのです」

「そうだったな」

「先ほどの疑問に関しての回答は2つあります。ひとつは物理的な数量です。ここ数年の日本では、環境要因および社会的背景などが重なり、あきらかに女児出生率が高くなりつつあります。これに加えてもうひとつ、情報技術が高度に発達した現況の社会情勢の中で、より性の抽象化・仮想化の影響を受け、現実との乖離から引いては再生産率低下の遠因となっているのは男性のほうであるというのは調査によって数値的に証明されています。今後余剰が見込まれる女性を”インストラクター”として、男性の成熟を図ることがより効率的な再生産率向上の手段になると考えます」
・・・・

....その206へ続く(出逢いと別れ)