短期集中連載(笑)
オレンジ色の太陽が、地上波塔の先端を卓上の空っぽの花瓶に突き立てる。 ....東洋と西洋、2大超大国の軍拡競争が激化した21世紀後半になると、もはや大陸間弾道弾は最終兵器ではなくなっていた。 この世紀初頭に行われた侵略戦争とその後の統治政策の失敗を教訓として、各国は非効率的な地上での陣取り合戦をやめ、代わりに地球重力圏内の「領宙」争いに躍起になるようになった。 頭上を抑えてしまえば、いつでも地上の連中に「城下の盟」を誓わせることができる.... かくして戦争の舞台は地上を遠く離れた地球衛星軌道上へとその場を移した。.... ....僕は、彼女の幹に近づく。 彼女の樹高は約30m、幹周囲は大人が7,8人手をつないでも囲みきれるかどうかという、見上げるばかりの大樹だ。その根は僕の住むドームシティの地下をしっかりと保持している。他の市が土壌の砂礫化によってあえなく消滅していったが、彼女のおかげで僕たちはこうしてここに住んでいられるのだ。 その彼女の根元から1m程の高さに亘って、大きな「コブ」ができている。 僕は、そのコブにそっと耳を寄せた。 "ザワザワザワザワ....." それは、地上を覆い尽くすホワイトノイズとも少し違う音だ。 古来より「葉の風鳴りの音だ」「いや、道管を流れる樹液の音だ」と様々に言われてきた音だが、結局それを証明した人はいなかった。 だけど、僕にはわかる。それは彼女の「鼓動」なのだ。なぜなら..... "シャウシャウシャウ....." 彼女自身から聞こえてくる音に混じって、かすかに聞こえてくる音。 小さくて頼りない、だけど確かな命の音。 僕にはその音が、毎日少しずつ、だが確かに段々はっきりと聞こえてくるのがわかっている。 「....どうかな、今日の具合は?」 不意に声をかけられて、僕はドキッとした。 だが、すぐに声の主に笑いかけた。.... ....戦争の様相を一変させたのは、世紀半ばに実用化された地対宙空荷電粒子砲「昴」だった。 第二次スターウォーズ計画を発動させた西の大国に対し、制宙圏で遅れをとる東洋のかの国は、仮想敵国の軌道上施設建設を地上から牽制する目的でこの超長射程砲を開発すると共に、積極的に第三国への技術供与を行った。 構造が単純で、かつ潤沢な電源供給さえあれば無限に発射可能なこの「防衛システム」は、たちまちの間に全世界へと広がった。 「宇宙は誰のものでもない。地球人類すべてのものだ」 「昴」を中近東諸国へ供与するにあたり、西欧諸国の轟々たる非難に応えて国家主席が述べた言葉である。.... ....「なんだ、ミュー博士...おどかさないでくださいよ」 「すまんすまん。びっくりさせるつもりはなかったのだが....君があまりにも熱心に『診察』をしてるようだったのでな、しばらく声をかけずに見ていたんだよ」 「そんな....お人が悪いですよ....」 フェリックス・ミュー博士(64)は肩にかけたバッグから携帯型断層撮影装置を取り出しながら笑った。 「まあ、こんなものを使って覗き見するよりも、君がそうやって五感で見てあげるほうが彼女も気分がいいとはおもうがね.....うん、どうやら順調のようだ」 ミュー博士は正式に学業を修めた人ではない。だが好奇心旺盛でいろいろなことを知っていて、彼女に「ちょっとしたお願い」をしようと言い出し、それを実行したのは彼である。そんな事もあって僕たちの間では『博士』と呼ばれている。.... ....「昴」が世界中に配備されるに到り、国家間の紛争は、ある国が宇宙軍用施設を軌道上に設置しようとすると、対象国がそれを阻止するべく荷電粒子砲を撃ち上げる....という、その繰り返しとなった。 このような状況になって、有人宇宙施設を建設しようという愚かな国はどこにもない。いかに無人施設を秘密裏に仮想敵国の上空に配備するか、そして敵国のそれをいかに阻止するかの戦いになった。 かくして地上世界には、「常に戦争状態にあるが、戦闘による直接の死者が皆無」という、歴史上類を見ない状況が出現した。 どこの国でも国威発揚のためか、政府が積極的に映像情報を提供した。報道はショーアップされ、人々は頭上で展開される戦争ゲームを、ディスプレイを通してリアルタイムに「観戦」することに熱中した。 自分に被害が及ばない限り、戦争ほど人を熱中させるものはない。ましてや、犠牲者が一人も出ないとなれば.... ある島国では、時差が11時間ある仮想敵国が馬鹿の一つ覚えのように早朝の衛星打上げを実施するため、迎撃の模様が毎回ゴールデンアワーで放送され、報道としては驚異的な視聴率を上げた。 奇怪な髪型の軍事評論家がそのマニアックな解説で人気を博し、一部の狂信的な戦争反対論者を除いてほとんどすべての人々が、 「困ったもんですねぇ」 と言いながら画面のなかで展開される万華鏡のごときエネルギーと物資の浪費に見入っていたのである。.... ....「それにしてもミュー博士、結構時間がかかるものですね」 ミュー博士はバッグの中からサプリメントリキッドのボトルを2つ取り出し、一つを僕に渡した。いまではこのリキッド1本で、僕たちは毎日の活動に必要な物質を摂っている。 「そうだなぁ、確か処置を施したのがAD+0015dだったから、いま+230dということになるかな。もうそろそろなんらかの兆候が出てきてもいい頃だな。たしか....」 「『十月十日』といったもんだよ、昔は」 「おや、今日はおいでになったんですか」 ミュー博士が振り返った先に、長い白髪を1つにまとめたエリオ・ディアス老(84)の姿があった。 「いつまでも部屋に篭っておっても調子が良くなるわけではないからのう、君たちの姿が見えたから出てきてみたんじゃよ。それに今日は....」 ディアス老は、すっかり丸くなった背を無理に伸ばすようにして、「彼女」の萌樹色の枝を見上げた。 僕が物心ついた頃には、すでに彼は老人だった。そして20年経った今も、彼は老人のままだ。だが.... ....人類がその異変に気づいたのは、戦争が本格的になってから初めての秋の頃だった。 極北に近いアイスランドの国立病院で、ある医師が最近になって皮膚癌患者の多くに劇的な改善が見られた原因を調査するべく行なった大規模なフィールドワークにより、大気中のある種のオキシダント濃度が急速に上昇しており、ガンの縮退がこれと因果関係があることが示唆されたのだ。 検証の結果、このオキシダントは大気中を多くの電荷が通過したことと、成層圏上に多量の放射線を含む電磁波が照射されたことにより発生したもの、つまり今行なわれている戦争の副生産物であり、ガン細胞が独自に持つ代謝経路のいくつかを不可逆的に阻害することがわかった。 だが、そのほかの正常な細胞への影響はまったくないという結論が導き出され、世界ではこれも一部の狂信的環境保護団体を除いて「このろくでもない戦争の生み出した唯一有益なもの」として受け止められたのだ。 最初に医学者がこの物質を発見したのが、人類にとって幸福だったのか、それとも不幸だったのか.... ....「彼女」を見つめるディアス老の瞳は、まるで少年のように戸惑いと憧憬と羞恥の入り混じった色をしている。そう、それが本当にどういうものかは僕、いや、ディアス老とミュー博士を除いて、僕たちには知る由もないが.... 「麗しのシャロンがいたらなんていうだろうな」 「さぁ....きっと口うるさいおばさんになってたんじゃないですか」 ふん、とディアス老はあらぬ方向をみやった。 シャロン・カーソンが生きていれば89歳になる。どうもディアス老は「彼女」にシャロンお婆さんの姿を重ねているようだ。 大昔のディスクに書いてあった表現を借りると、それは「異性配偶体に対して欲望の混じった感情を抱くこと」.....『恋』という行為らしい。.... .....発見されたオキシダントの、生体に対する「もうひとつの影響」が判明したのは、北半球の冬がまもなく終ろうとするころである。 植物発生学を研究中の大学院生が、植物の重要な成長因子であるジベレリン生合成の最終段階を触媒する3β-ヒドロキシゲナーゼをこの物質が不可逆的に阻害することを突き止めたのだ。 突然、「死」は宣告された。 すでにオキシダント濃度は戦争の主舞台である北半球の大気中で、対策不能なレベルにまで達していた。 それは「地上のすべての種が芽を出さず、すべての植物が成長を止める」ことを意味する。 最初、人類社会は楽観論に傾いた。曰く、「いかにも問題は存在するが、植物がうける影響は軽微なものであり、農業技術の改善によって対策は可能だ」と。 だが、徐々にその楽観論は悲観論に取って代わられた。 発生学的な過程から、ガン細胞の代謝系と植物の成長因子合成系に極めて類似する点が存在する事は、20世紀末には既に知られていた。 だがそのことが評論家によって指摘されると、大衆の批難はオキシダントの効用を発見し、それを自慢気に発表した医学界に向けられた。 「毒ガスであることを推察もできないでもてはやした無能者どもが!!」 やがて集団ヒステリーが訪れた。多くの病院や医療施設が暴徒によって破壊され、高名な医学者の多くが襲撃された。 そうして民衆のカタルシスが一段落し、変らぬ事実だけが残った。 恐るべき春が訪れた。 北半球の穀倉地帯では、有史以来の凶作に見舞われた。 いや、もはや「凶作」とも呼べない「無作」であった。当然である、まいた種から芽が出ないのだから。 たった一年にして、人類、そしてそれ以外の動物界も含めて、世界は未曾有の食糧危機に見舞われた。 人類はこの地球の危機に対し、手をこまねいていたわけではない。 植物の成長因子を合成する施設が世界各地で稼動し、農薬として使用されはじめた。 戦争の影響が少なく、オキシダント濃度が未だ低い南半球の各地で大規模な開墾と灌漑が行なわれ、新たな穀倉地帯として期待された。 だが、自ら進めた滅亡への時計の針を、元に戻す事はできなかった。 合成される成長因子の量は生産すべき植物の量に対して絶望的に少なかった。 そしてオキシダントは気流に乗り、南半球へも拡散した。 ほどなく、アフリカ・南米・オーストラリアの穀倉地帯も北半球のそれと運命を供にした。 建設的な努力が実を結ばずに終り、今度は残された食糧を巡って非生産的な努力が開始された。 戦争の舞台は再び地上に戻り、前世紀の世界大戦とは比較にならないほど多くの血が流された。 こうして人類の滅亡への速度はさらに加速された。 その間、木本植物は愚かな生物の行為を黙って見つめていた。 次世代を産み出す事もなく、枝を空に向けてのばすこともなく、ただ静かに... ....「今日は久しぶりに皆が揃うような気がしたんでな。レニとオグンは?」 「朝方2人で歩いてるのをみかけましたが....」「パパ!」 噴水跡の向こうからレニ・イルマリネン(44)に連れられて姿を見せたオグン・ドゥウア(4)が、ドタドタと僕に駆け寄り、足元にタックルを食らわせた。 「お、おい....」 「ねえパパ!ボク今日ね、レニとシティの南側を探検してきたんだよ!すごいでしょ!!」 「あぁ...そうだね....」 僕は苦笑する。あれから4年も経つのに、まだオグンの仕草と、彼が僕を呼ぶさまに慣れないのだ。 そう、僕がシティの中心にあるラボで、あのカプセルに入って「処置」を受けてから.... ....戦乱が一段落した22世紀初頭、激減した人類は、生物界そのものを守る使命感に今更のように燃えはじめた。それが手遅れとわかっていても.... 世界各地に巨大な半球形のドームが建設され、太陽光エネルギーを利用したオキシダント処理装置が稼動し始めた。 ドーム内のオキシダント濃度の低下に伴い、それまで休眠状態にあった種子たちの一部は生命力を取り戻した。地上に再び緑が戻ってきたのだ。 ドームの中のシティでは完全な人口管理が行われ、各シティ間の交流はほとんど途絶えた。"The days of Isolated Cities(孤立市時代)"の幕開けである。 息苦しい管理社会の中で、とにもかくにも地上生命はその生物学的寿命を永らえることに成功する。 ....だが、25世紀半ばごろになると、各地のドームシティ周囲での砂漠化が急速に進行し、ドームの老朽化と相まってシールドを維持できなくなったシティが次々とオキシダントの侵攻を受けて壊滅していった。再生した草木だけでは、土壌の維持が不可能だったのである。.... ....シティを朱色に染めた太陽が地平に沈み、空は次第に紫色が濃くなってきた。 「そろそろ、名前を決めんとな」 「それは僕がやるよ!僕の赤ちゃんだもん!」.... ....そして「沈黙の春」から、およそ700年が過ぎた。 ドームシティ"DCJP-SG#0015HKN"。 それが、地上に残されたただ一つの生命の居場所である。 このドームが壊滅を免れたのは、シティ中心にある巨大な樹木ゆえだった。 樹齢推定1100年の銀杏の雌木。 その根は広くシティ外縁にまで及び、その地面をしっかりと支え、遠く望む山脈から地下を伝ってくる伏流水を受け止めた。 元々は、この銀杏ゆえにここにドームが建設されたわけではない。たまたま建設された場所にこの樹があっただけなのだ。しかも当時は、それほど巨木であったわけではない。 だが、「彼女」はひとりではなかったのだ。 驚くべきことに、オキシダントに晒されていた時期も、わずかながら成長していたその銀杏が、ドーム建設後に急速にその樹高と枝を伸ばしたのは、「彼女」の体内に共生する嫌気性菌ゆえだった。 その代謝物であるジベレリンが芽を育み、枝を伸ばしたのだ。 実をつけることは、雄木が地上から消滅した今では既に不可能になっていたが.... そして西暦2832年。 ついに人類にも「その時」がやってきた。 最後の「雌性配偶子を持つ個体」が消滅したのだ。 「生物種」としての運命は、この瞬間に決した。 もっとも、孤立市時代に入ってから間もなく、人類は次世代への遺伝子の継承を、生殖という非効率かつ無計画な行為に頼らなくなっていた。 倫理上の問題から、技術的に確立されていたにもかかわらず禁止されていたヒトES細胞からの同種培養、すなわち「人クローン技術」が多くのシティでの人口政策の基本技術として採用された。 その後、長い管理と孤立の時間の中で人間の叡智と本能は共に退嬰し、遺伝子選択システムと培養装置は命を産み出す「神」となった。 そして地上には、同型遺伝子を持つ集団が散在し、遺伝学的多様性を失ったまま、やがて来る終末を待つばかりとなっていたのだ。.... ....そう、今「彼女」の体内にいる幼い銀杏は、オグンが散歩のときに偶然見つけた「卵」から生れたのだ。 変った香りのするその「卵」は、もちろん「彼女」が育てたものではない。とある建物の中に、ガラスの瓶に入れられて残っていたのだ。 ミュー博士が「彼女」にお願いしたのは、シティのライブラリに僅かに残されたディスクに記されていた、「Pregnancy」という現象の再現だった。 ミュー博士が調べたところによれば、何世紀か前までは、生物は「卵」を体の中で育て、大気中で成長可能な状態になったら自然に出てくるものだったそうだ。 博士はその故事にならい、僕らが生れた「ポッド」に似せて「彼女」の幹に「卵」の育つ場所を作ったのだ。 「うん、それもいいね....でもまず生れてくるのが男の子なのか女の子か、それを見てからだな」 「それってどうやってわかるんですか?」レニが博士にたずねる。 「男の子ならおおきくなってから、『彼女』に「種」を飛ばして「卵」をつけることもできるようになるはずだよ」 「それっていつわかるの?」 「そうだな.....「卵」の素になる花をつけるようになるまで7000〜10000dってとこかな」 「えーっ!そんなにかかるの!僕おじいさんになっちゃうよ!!」 オグンの無邪気な不平に、皆が笑った。 夕闇が落ちかかり、広場に一本だけの街灯が点った。 青白い光の中で、僕たちはいつまでも語り続ける。 そう、地上に残された最後の5人。 全く同じ遺伝子を持つ、最後の5人で.... |