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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その183

・・・・話そうと思うことは数知れずあった。

だが、重信道隆(38)は「彼女」を目の前に、何も切り出せずにいた。

「あの時」より少しばかり髪を伸ばした「彼女」は、それでもそれ以外はまるで変わらぬ姿を重信の前に晒している。あの時のままの幼い妖艶さを湛えた表情、あの時のままの豊かな胸、あの時のままの細くすらりと伸びた手足....

早春の寒い日にも拘らず、白いノースリーブのワンピースを着た「彼女」がゆっくりと重信に背を向け、山間の方へと足を向けながら重信に行った。
白というよりもまだ薄い生地の奥に、何もつけていない「彼女」の白い素肌、突き立つ乳首、そして柔らかな草叢....が透けて見える。

「来て....」

重信はまるで催眠術にかかったように、彼女の後を追った。

「この先に、僕の求めていたものがある....」
うわごとのように自分に言い聞かせながら、山道を登っていく。

祠の横の広場に辿り着くと、彼女がこちらを向いた。

最初に出会った時の、眠りから醒めた彼女の表情。

あの醜い宴の席で、彼に見せた誘いの表情。

そのどちらでもない、いや、どちらをも包含した表情だった。
反射的に重信はバッグからカメラを取り出し、速射砲のようにシャッターを切った。

「これだ....これこそ....そうだ....これさえあれば....僕は...」
夢中でレンズを向ける重信。「彼女」が近づいてくる....

「もう少しだ。もう少しで彼女と僕は.....」

重信の望みは叶えられた。風にたなびく白い羽衣のように、「彼女」の肢体が重信に投げかけられる....

上腹部に鈍い衝撃があった。

「彼女」をふわりと抱き留めたまま、重信はみぞおちの辺りから噴き出す2人の赤い血飛沫をぼんやりと眺めていた。
2人を繋ぎ止めているのは、抱きしめ合うお互いの腕と、重信の背後から2人を貫いた立木の太い切枝である。

しばらくの抱擁の後、静かに「彼女」は離れた。

「なぜ...?」
その疑問を、なぜか投げかけられないでいる重信だった。
彼にはなんとなく判っていたのかもしれない。
重信が「彼女」を求めていたように、「彼女」も重信を求めていた事を....


椿

「彼女」の白いワンピースに、椿の色に似た鮮紅の華が開いている。

・・・・高校生の頃の僕にとって、女性は畏怖と憧憬の対象でしか無かった。
触れるにはあまりに遠く、そして実感の伴わないものだった。

「彼女」と逢ったのは、そんな頃だ。
「彼女」と僕の人生が交叉したその一瞬は余りに鮮烈で、全てのことがそこから始まった様な気がしてならない。

・・・・だが、物事には始めがあって、終りがある。

いつか「彼女」を、自分の色に染めてみたいと思った。
だがそれが叶えられた瞬間、全てが終るのではないかという畏れが、いつも自分の中にあった。そのことを考えるたびに、いいようのない不安が僕を襲う。

だが、「彼女」も僕を求めていた。僕と全てを終らせるために。
そして分かったのだ。僕が「彼女」を染めるのではなく、「彼女」が僕を「彼女」色に染めたのだということが....
この地に生まれ、鉛色の空の下を漂泊い、そして八百余年の後この地に戻って生命を終えた女性。
華やかに咲き、そして根元から儚く散る花をこよなく愛した、永遠の命を授かってしまった女性。

ひょっとしたら「彼女」はその女性そのものなのかもしれない。
いや、きっとそうに違いない。

「彼女」の名は....


”そう、君の名前をまだ聞いてなかったね”

言葉にすることさえ、すでに大きな疲労を伴う作業だった。

胸に咲いた鮮血の花弁を大きく開くように、「彼女」は両手を広げたまま、崖の方へと下がっていく。

「彼女」の足が地を蹴り、その身体が宙に解き放たれたその瞬間。

”サト。私の名はサト....”

すでに意識が消えかけた重信の耳に、彼女の声が届いたような気がした。....

....その184へ続く(八百比丘尼伝説終焉の地)