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短期集中連載(笑)
−この物語は、フィクションである−
その175
オフィスの時計が5時を指した。
その瞬間にあちらこちらから椅子の音が響き、社員がタイムレコーダへ向けて殺到する。
業績不振の北原清二(28)のソフトハウスは、士気も著しく低下しているようだ。
「....北原さ〜ん、今日はどっかいきませんか?」
「ありがとう、でもまだこのデバッグが済んでないからなぁ....」
「熱心ですねぇ....じゃお先失礼します」
「あぁ、お疲れさん」
"何をあんな熱心にやってるんだ?"
"んなもん頑張ったって無駄無駄、どうせ長くないんだからウチは..."
陰口が聞こえてきそうだ。
北原は無視して画面に向う....ふりをした。
中野老人との約束は午後6時である。それまではこちらの仕事をやっているようにみせかけなければ....
....ようやく予定の時刻が近づき、北原はまだ残っている社の同僚に声をかけると、一人地下の資料室へと向かった。
例の保管棚の端に手を掛けると、いつものように棚が移動し、通路が出現した。
『AML』の玄関を抜けると、情報担当士官の大町シズエ中佐が迎えた。
肩までの黒い髪にくっきりとした顔立ち、すらりと伸びた身体を包む女性士官の制服が凛々しい美しさをたたえている。
「ごくろうさま」
「おつかれさまです。中佐」
「お疲れのところでしょうが、状況が緊迫しております。中将閣下がオフィスで少佐をお待ちです」
「かしこまりました」
突き当たりのパーティションのドアをノックすると、中野左兵衛中将(86)が応えた。「入れ」
「北原少佐、参りました」
北原はここでは少佐待遇の技術士官ということになっている。
「ご苦労。早速だが進捗状況はどうか」
「はい、GPSおよびCRYSTAL−5a操作スレッドのバースト化アルゴリズムに関してはほぼ見通しが立ちました。ただ。確実に発射前の攻撃対象を破壊するにはデコードに要する時間をもう少し見直す必要があります。米軍の全面的な協力を得られればいいのですが、現段階では....」
「それは仕方あるまい。中継衛星の制御に関してはどうだ?」
「これについては現在製作中の2号衛星の性能如何によります」
「こればかりは機械だけに任せることはできんからのう。篠原中佐の腕の見せ所というわけだ」
篠原弥三郎中佐は表面研磨加工ではおそらく世界一の熟練工であろう。
「はい。それに成層圏上での迎撃ならともかく、大気圏を2度通過しての攻撃となると大気の屈折が無視できなくなります。当日の射線上の詳細な気象データを外挿する必要も出てきますので、それをリアルタイムに修正していくためのシステムを現在構築中です。3〜4日中にはシステム構築が終了しますので、来週はじめにはテストが可能です」
「実装は明朝までだ。テストは明後日に行う。無理か?」
「....いえ。チェックプロセスを多段階から単段階に変更すれば可能です」
「よし、ではそうしてくれ」
「あとは2号衛星の打ち上げ時期ですが....」
「NASDAにも急ぐようにと伝えておる。これも硫黄島の基地から非公式に打ち上げることになるだろう。来週の月曜日を予定しておる」
「こちらもずいぶんと急ですね....」
「事態は切迫しておるのだ。もしかすると2点中継ではなく1点中継での作戦になるかもしれない。そのことだけは理解しておいて欲しい」
「かしこまりました。すでにそのオプションもバックアップとして実装してあります」
「よかろう。では作業を頼むぞ。わかっておるだろうが君は我々の中では稀有かつ貴重な存在だ。無理を言っていることは承知しておるが、この時点で君を失うことはできん。くれぐれも体調には気をつけてな」
「そのお言葉だけで十分です。失礼します」
北原は中野中将のオフィス内にあるクローゼットを開けた。とそこに、エレベータが出現する。
北原が乗り込み、ドアを閉めると急降下を開始した。
やがて彼が到達したのは、地上から約500mの大深度地下にある、旧ジオフロントプロジェクト跡地であった。
差渡し直径3000m、全高1500mという巨大な地下の空洞内には縦横に大小さまざまなパイプが張り巡らされ、それに寄り添うように取り付けられたキャットウォークとともに地上の超高層ビルをもしのぐいくつもの建造物を結んでいる。自然光の強力な照明があちらこちらに設置され、その明るさは地上の都心の昼よりも明るいほどだ。
北原の作業場は、中央に聳え立つ円柱状の構造物の根元にあるメインコンピュータルームである。
屋内に入ると、作業中の内田秀男大尉と宇田新太郎中尉がこちらを向いた。
「あ、少佐。おつかれさまです。上の様子はどうでした?」
「また悪い知らせですよ」
一応階級では彼らが下になっているが、軍式の上下関係に慣れていない北原は階級が下の相手にも敬語を使った。
「というと?」
「最終的なシステム実験が明後日になるそうです」
「ううむ....厳しいですね」内田大尉が唸った。
「しかたないですよ。中将が状況を無視して作業を急がせるはずはありませんから」
「そのとおりですね」
「すると、またXデーが近いと?」
「おそらくそうでしょう。というわけで、今夜も徹夜になりますが」
「我々は大丈夫です。このとおりですから....」
「そうでしたね」
「少佐こそ....」
「うん。無理はしないように....というわけにもいきませんがね」
「では、よろしくおねがいします」
北原はコンソールを前に座ると、機関銃のようなスピードでキーをたたき始めた。
内田大尉と宇田中尉もそれに倣った....わけではない。
彼らはCRTの前に座ると、画面の操作点に視線を合わせた。と同時に、めまぐるしく画面が動いていく。
「これは全然勝負にならないな....」
北原は苦笑した。しかし彼らの背負っている宿命を考えれば....そう、あの日中野中将に連れられて目の当たりにした彼らの姿を思えば....
....作業は日付が変わっても続いていた。なすべきことは多く、時間はあまりにも少ない。
だが、流石に疲労を感じてきた北原は、キーボードから手を離し、少し休憩を取ろうと席を立とうとした。
その耳に、非常警報とともに宇田中尉の叫び声が飛び込んできた。
「....少佐!敵に動きがあります!!」・・・・
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