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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その172

北原清二(28)はCRTから目を離した。

午前3時を過ぎ、さすがに人気のなくなったオフィスでは背後のサーバと自分の端末があげる低い唸り以外何も聞こえない。

リクライニングの背もたれに倒れかかってタバコを取り出し、禁煙だということに気がついた。こういうところだけ外資系の会社は細かい。
舌打ちしながら部屋の隅にあるコーヒーベンダーでエスプレッソを淹れ、一口すすった北原はところどころにだけ灯りの残る窓の外を眺めた。

北原の会社は、神奈川県中央部の工業団地にある。
90年代初頭までは半導体メーカーとして国際的にもそこそこ知られた存在であった。当時の経営陣はその勢いをかって業務用ソフトウェア開発へとその手を広げた。
だがバブル崩壊後の不況の中で業績は悪化し、ついに昨年末に米国資本に身売りされることになった。その際に特に赤字であった、北原の在籍するソフトウェア開発部門は分社化され、大規模なリストラが行われた。

首切りの嵐をかろうじて乗り切った北原に待っていたのは、社に蔓延する士気の低下と、サービス残業の連続の日々だった。ここ数日、いや数週間、日付が変わる前に帰宅したことがない。泊り込みもザラであった。いまや北原の日常生活用品は自宅よりも会社の方に多くおかれている有様である。

”辞めたほうがよかったかな....?”
何度同じ問いを自分にしたことだろう。

しかしながら、こうして窓の外を眺めていると、そんな気分も失せてしまう。

ハイテク産業が集結していたこの土地から、一つ、また一つと会社が姿を消していった。
その跡地に、別の看板が上がり始めたのは2,3年前からである。
『特別養護老人施設 XXXの里』
『有料ケアセンター シルバーライフ○○』....

....「日本のシリコンバレー」と一時はもてはやされたこの工業団地に、老人たちの収容施設が急速に増えつつある。

税制面での優遇措置があるのだろう。それに多くの人間を収容するためには、インフラの整ったまとまった土地が必要なのだろう。そういった場所を確保するためにはこのような場所が適しているのも理解できる。それにお年寄りにはこうした施設が必要なことも理解できる。

だが、北原にはそれが、経済、いや日本という国家そのものが老衰していく象徴のように思えて仕方がない。自分の勤務するこの会社も、やがてはそうした流れの中に飲み込まれてしまうのだろう....

”....いかん”
どうも鬱傾向である。
「やはり疲れているんだろうか....?」
眠気はまるでない。しかし無理にでも寝ておいたほうがいいかもしれない。
北原はピルケースからハルシオンを取り出すと、半分に割ってエスプレッソで流し込んだ。
こうしておけば2〜3時間後には目を覚ませる。いつも会社で寝付けないときの北原のやり方だった。

少し身体がだるくなり、気持ちよくなってきた北原は来客用のソファに横たわった。
その時。

扉を激しく叩く音が北原の耳に届いた。
「だ、誰だ....?」
薬が効いてきて、身体を動かしたくない。
だが、同僚が来たのなら、後を任せて帰宅できるかもしれない....そう考えた北原は、重い身体を引きずるようにしてドアに近づき、カギを開けた。

ドアの向こうに立っていたのは、パジャマをだらしなく着た老人だった。

「お菓子をくれんかね?」
「はい....?」・・・・

....その173へ続く(入浴順で喧嘩)