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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その171

オレンジと緑色の電車は、南荒尾信号場を過ぎると大きく右に折れながら、本線をオーバーパスしていく。

相原幡生(17)は学参の入った鞄を横に置き、流れていく田園風景を見るともなくぼんやりと眺めていた。
今日も岐阜の予備校に行くつまらない日曜日....の予定だった。確かに岐阜には行った。
だがいつものとおり、デパ地下のうらぶれたゲーセンで、これまた時代遅れのシューティングで時間を潰し、そのまま戻ってきてしまった。

そのことがいつものとおり、相原をますますつまらない気分にさせていた。

列車は人里を抜け、山間に入る。戦時輸送体制の中でこの区間の勾配緩和策として作られた新線であるが、乗っている相原には垂井周りの在来線よりもきつい登りに感じられる。
いくつかのトンネルを抜けた後、列車は人気のない片面ホームの駅に到着した。

何となく、相原は降りてみる気になった。

車掌に切符を渡し、赤茶けた砂利の敷かれたホームに下りる。
すると背後から、もう一人の客が降りてきた。

車掌となにやら話している。
”....だめですかねぇ”
”そういわれても、ここ無人駅だからねぇ....”
”そうですか”
その初老の紳士がなにやら頼みごとをしているようで、その間発車が遅れている。
電車が動かないのを訝しく思った他の乗客が、何人か窓から顔を出して様子を窺っている。

やがて紳士は諦めたらしく、数少ない降車客と共にホームに降り立った。

ローカル線では良くあることだが、辺りにまるで民家が見えない駅でも、どこからともなく人が集まり、そしてまたどこへともなく散っていく。....

....そしてホームには、相原と紳士だけ残った。
相原は、急に気詰まりになった。
「何者だろう....?」
だが、おそらくはその紳士もそう考えているに違いない。

2人は互いに古ぼけたベンチの端と端に座った。
テキストを取り出して勉強するふりをしながら、相原はそれとなく紳士の方に探りを入れた。
紳士の手荷物は小さな鞄ひとつ、その上には鞄に似合わない大時刻表が開かれ、なにやらメモを取っている様子である。

が、相原の目は時刻表の上に置かれた紳士の切符にくぎ付けになった。
切符自体は、相原家の最寄駅で発行されるような昔ながらの普通の手書き軟券である。
だが、その記載事項が尋常ではなかった。

「発駅:様似→着駅:枕崎」の記載以降はひたすら経由駅が続き、券面表側を通り越して裏側まで回りこんでいる様子だ。おまけにその上から無数の途中下車印が押され、普通の人が見ただけでは切符とは思えない様相を呈している。

相原の視線に気がついたのか、紳士が視線をメモから外し、相原に向けた。
慌ててあらぬ方角を見やった相原に、声がかかった。「すみません....君はこの辺の方ですか?」
「え、ええまあ....関ヶ原の向こうですけど」
「よかった。ちょっとお聞きしたいんだけど、ここから米原までどのくらいかかるのかな?」
「え、ええっと....30分ぐらいかな...」
よく考えてみればおかしな会話である。時刻表を広げている紳士が、相原に所要時間を聞く必要もないはずである。紳士が気詰まりな雰囲気を和らげるために声をかけてくれただけなのだろう。
だが、高校生の相原にその心情を汲み取る余裕はなかった。
「全国を旅しておられるんですか?」
その質問は直裁的に過ぎ、かつ儀礼的に過ぎたかもしれない。

「うん、まあね....」
紳士は黒縁眼鏡の奥に、はにかんだような表情を浮かべた。
その表情が、まるでいたずらを見つかった子供のように見えて、相原は少しおかしくなった。

初夏の風が、山間の駅を流れていく。

やがて下り列車しかこない駅に、静かに電車が停まった。
相原は紳士に一礼すると、紳士もかぶっていた帽子を少しかざして挨拶してくれた。

別々の車両に乗り込んだ2人を乗せた列車は、遠く本線を見晴るかす高台を西へと向かっていった。・・・・



・・・・園部あたりまでの喧騒も、長距離客が寝静まるまでのさざめきも、もうこの時刻には存在しない。
夜明け前の深い藍の色が満ちる山陰の町をぬって、静静と列車は走りつづける。

相原幡生(20)は、ぼんやりと大時刻表を眺めた。
遠く下関まで乗り通すつもりの今日の予定を考えれば、今のうちに寝ておかなければ後々きつくなってくるのは目に見えている。
だが、旅の初日はいつもこうだ。

もう眠れなくなった相原は、気分を変えようと洗面所に立った。
ディーゼル発電機がやかましく唸りを上げる緩急車にたどり着いた相原は、その向こうにクラシックな幌が口を開けているのを見た。
今やどこでも見なくなった旧型の寝台車である。

相原は、その寝台車の洗面台を使うことにした。
車掌の目をはばかりながら、手押しの折戸が半分開きかけたデッキを抜けた。

年代を経てほどよく黄ばんだ磁器の流し、白熱電灯、そして天井で低く唸る円筒型のクーラー....
ここへ来た目的も忘れて、相原はその古色蒼然たる調度に見入った。
「あ、ごめんなさい....」
後ろの人の気配に我に返った相原は、慌てて飛びのいた。
「あ、いや、どうぞ」
おだやかな声が応えた。

相原が言葉に甘えて急いで顔を洗い、
「どうぞ...」
相手の顔をみやったとき。
”あれ....この人....”
「失礼ですが、どこかで....」
「は?」
「お会いしたことがあるような...たしか....新垂井の....何年か前に」
「はぁ....そうでしたか。すみません」
「いえ....失礼ですがこちらへはご旅行で?」
「え、ええまぁ....」

3年前と同じ返事、同じはにかんだ表情が返ってきた。
厳冬のこの時期、沿線はカニ漁で賑わう。

ほどなく列車は、早暁の香住駅に到着した。
朝の空気を吸おうとデッキから顔を出した相原の目に、黒縁眼鏡の紳士の姿が映った。

列車から立ち上るスチームをぬって改札にたどり着き、切符を渡す。
その姿がどことなくほほえましくて、相原は走り出した列車の窓から駅が消えるまで後ろを見やっていた。・・・・



・・・・小さな駅舎と不釣合いなほど広大なヤードを長い跨線橋で抜けると、さらに小さなホームに1両だけの列車があった。
相原幡生(37)は久しぶりに見る道央の風景を、あまり感慨もなく眺めていた。

立ち枯れたような早春の雑木林。
錆びた天井川の橋脚。
白く霜の降りた広い畑。

どうして自分がここにいるのかわからない。
もう昔のように、列車を求めて、スタンプ目指して旅をする自分でもない。

所在なげに二重窓の枠に頬杖をつくと、急に眠気が襲ってきた。

”旅は過程を楽しむもの”
”飛行機で出かけるのは、前戯なくして何とやら”

....昔読んだ本の一説が、頭の中で渦巻く。
それを実行する時間も、心の余裕もなくしつつある自分が立ち止まっている。

....「ご乗車ありがとうございました。終点・悲別です。お忘れ物のないようお確かめ下さい。この列車は折り返し7:37発砂川行きとなります」

終点の構内放送が相原の耳に届いた。
「そうか....終点か....」だが相原の目はつむったままである。

「終点です、お客さん。終点・上砂川ですよ」
「あ、はい....え?」相原は車掌とおぼしき声にようやく目を開けることができた。

「たしかここは....悲別ですよね?」
「いえ、上砂川ですよ」
「え、だって今構内放送でも....駅名表示板だって....」
「ああ、あれはあのドラマ以降ここの職員がそうしてるんですよ。本当は函館本線・上砂川支線の終点、上砂川駅です」
車掌はくりかえした。
「そう....悲別ではないんです....」

相原は初老のその車掌を見やった。
黒縁の眼鏡の奥で、優しい目が笑ったような気がした。”あっ....”
「....失礼ですが、どこかでお会いしましたか....?」
「は?さぁ....すみません」
「そうですか....あの....乗務はこれからどちらの方へ....?」
「ええ、まぁ....」

車掌ははにかんだような表情ではぐらかした。

その様子は、まるでいたずらで車掌ごっこをやっている少年のように相原には見えた。
「そうですか....どうもありがとうございます」

相原は肌寒いホームに降り立った。
くぐもった空から、少しばかり早春の陽光がもれ差してくる。

なんとなくそのまま折り返すのは憚られて、列車を一本やり過ごすことにした。
ホームに出発のチャイムが鳴る。
赤いディーゼル車の扉が閉まり、エンジン音の高まりと共にゆっくりと走り出した。
「では」
ホームに座る相原に、かの車掌が軽く敬礼をくれた。

「また....会えますよね?....」
心の中で問いかけながら、相原は去っていく列車をいつまでも見送っていた。

....その172へ続く(かの飄々たる紀行作家を偲ぶ)