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短期集中連載(笑)
−この物語は、フィクションである−
その164
ブレーキランプの赤い列が延々と続き、細い対面通行の道を塞いでいる。
いつものことながら、通勤時間帯のアンダーパス通過にはイライラさせられる。
篠原正紀(28)は、サイドシートに載せたノートPCを操作しようとした手を止めた。いつもならこんなときWebサイトを巡回したり、営業車についていないカーオーディオ代わりにMP3を鳴らしたりするのだが、今日はそんな気になれなかった。篠原は時計に目をやった。
由紀の面会時間終了まであと20分。間に合うだろうか.....?
「....いやーん、この子ったら....正紀、ちょっとこっちのイヤリング持っててもらっていい?」
買い物帰りの駐車場で、由紀が悲鳴をあげた。
「わかったよ、なんだかなぁコイツは....」
由紀の身体に変化があってからというもの、次男はますます由紀にベッタリ甘えるようになった。片時も由紀の傍を離れようとしない。
正紀は預かったイヤリングを財布に閉まった。....
....「ご主人、ちょっとお話がありますので、こちらへどうぞ」
看護婦に呼ばれて診察室に入った正紀は、淡々と状況を説明する医師に対し、自分でも驚くほど冷静に応対していた。
「自分がしっかりとしなければ....」
決心をつけかねている由紀の横に立ちながら正紀はそう思った。....そう、自分でそうだと思い込んでいたのだが、単に現実感に欠けていただけなのかもしれない。....
....ぼんやり考え事をしていて、気が付くと前の車のテールランプが離れていく。
慌ててクルマを発進させようとした正紀の前に、1台のRV車が強引とも言える割り込みをかけてきた。急停車する正紀。
「....」
普段は穏やかな彼に似合わず、クラクションを鳴らそうとして思いとどまった。
「自分がイラついてどうする....」
とにかく今は由紀の無事な姿を一刻も早く見たい。
こころなしかおぼつかない運転のRVの後ろを、辛抱強くついていく正紀であった。....
....入院が決ってからの由紀は、正紀の目には無理をしているほどに明るく見えた。
前日の昨日などは、直前まで家事一切を仕上げて、一人で病院に向かった。
「むずかしいことではありませんよ。大丈夫です」
医師に説明を受けた。自分でも色々調べてリスクの少ないことも理解できた。だが....
昨日の別れ際、病院の玄関で正紀の車を見送っていた由紀の姿を、正紀は忘れられない。.....
いいようのない不安が正紀にのしかかる。
正紀は財布を開け、あずかったままのイヤリングをじっと見つめた。
それだけが、正紀と彼女をつなぐ絆であるかのように。
正紀は、それを不器用な手つきで自分の左耳につけて、ルームミラーに写してみる。つけ方が悪かったのか、止め金具が下に突き出た不恰好なまま、耳にぶら下がっているのが見えた。
思わず正紀は苦笑した。
そんなことで、少しは心が落ち着いたような気がする。
前のRV車は、相変わらずノロノロと前を走っている。
「....どこまで行くのだろう?」
そんなことを思ううちに、目指す病院に門限ぎりぎりに着いた。
駐車場に車をとめ、歩き出す正紀。ふと見ると、先ほどのRVから正紀と同じくらいの男が飛び降りた。こちらと目が合って何かいいたげな様子だったが、目をそらすと一目散に玄関へと走っていった。
4階の病棟につき、面会の記帳をしようとして、先ほどの男にばったりと会った。
「ああ、さっき後ろを走ってた方ッスね!....すみませんッス、気が動転していて....いや、実はチビが生まれたてもんで慌てていて....いや、ホント悪かったッス...」
....息せき切って男が正紀に謝罪とも報告ともつかない言葉を発した。
「....それはよかったですね。おめでとう....」
”今、自分はどんな顔をしているのだろう....?”
そう思いながら正紀は応じた。
「あの....篠原由紀の夫ですが....由紀は...」
「ああ、篠原さん....大丈夫ですよ、無事すんで病室にいらっしゃいます。どうぞ」
ナースステーションにいた当直の看護婦が笑顔で答えた。
「そうですか....ありがとうございます....」
病室にいる由紀に逢ったら、何て声をかけよう...?「がんばったね」「ご苦労さん」「大丈夫?」....
退院したら、二人で買ったこのイヤリングを返してあげよう。そしてまた....
色々な思いを胸に、正紀は由紀の待つ病室へと向かった。
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