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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その135

早暁の蒼

寺脇俊二

その写真は雪原の駅に佇む一台のラッセル除雪車だった。
地吹雪が止み、つかの間の凪が訪れた早暁のオホーツク沿岸今はもう廃止となった興浜南線・雄武駅にて仕業を待つ姿を捉えたその構図は、見る私に圧倒的な静寂を伝えてくれた。

夜明の直前、世界全てが蒼青に染まる一瞬の美しさを一体どのように表現したら良いのだろう。人々に日常をもたらす街の構造物が全て陰となり、空気はただ深く蒼く凛冽な泉となり、歩めども歩めども佇んだままに似た私をも包むが如し。永遠、という言葉を束の間感じることのできる時の止まった世界とでもいうべきであろうか。
しかしそれはあくまで幻影にすぎず、やがて東雲の染まりゆく空に生命の動き出す息吹を覚えることとなるのである。
この写真を見る以前から、私はこの蒼青の時間が好きだった。夜更かしがそのまま徹夜となり、朝の興味もないラジオを聞きながら、窓の外が一色に染め上げられるのをぼんやり眺めている時間が好きだった。
いつのころからか、街の喧騒はこの聖なる時間をも奪い、訪れる朝はくぐもった灰色の時間しかもたらさなくなっていた。
私が、以前から好きだった夜行列車に、ますます頻繁に乗るようになったのが、失われた青い時間を無意識に捜しに行くようになったためだと解釈しても、あながち的外れではないのだろう。

1_1985・12・24 急行「天の川」上野→秋田

夜半、列車の止まる気配に目が覚めると、水上駅のホームは白い帳の中であった。
大学での生活で長らく忘れていた全てを包み込むような静寂、そして一人きりのイヴ。

凍り付いた20系「天の川」のドアを開けてホームに立つと身を切るような冷気の深淵から、次々に細雪が舞い下りてくる。
それはとても暖かい気持ちになれるひとときであった。

羽越線に入り、新潟平野の北辺を行く頃には冬の遅い夜明が訪れる。雪はとうに止み、曇り空と雪野の混ざり合う彼方に線路が消えていくのを、展望窓からぼんやりと眺めていた。
「私はどこからきて、どこへいくのか」
流れていく青白い田畑の景色を眺めながら、そんなことをふと考えていた。

寝台にもどり、しばらくの間眠る。

再び目覚める頃には、空はもうすっかり晴れ渡り、鳥海山の雄峰が朝日の中に屹立し蒼穹の冬空に純白の切り欠きが本当に鮮やかに入れられていた。
自分の未来が、また少し、開けたような気持ちになれた。

2_1980・3・25 普通「山陰」京都→出雲市

眠れない。無理もないだろう。

生まれて初めての夜行列車、しかも一人旅。おまけに列車は満員で、福知山までは立ち席だったのだから。
かつて、故郷を離れ東京に勤め、また学んだ叔父や母も、きっと同じような夜を過ごしたことだろうと思う。しかもこの列車は、戦後まもなくから使用されているような車両ばかり。やっと座れた席の片隅で、手すりというよりは頭もたせにもたれかかりながら、物音ひとつ立てず駅に停車する列車の窓から、まだ闇に沈む景色を眺めていた。
夜が明ければ朝がくる....そんな当たり前のことが、とても信じられない気がした。

発車時刻が迫ってきた。私はカセットレコーダを動かした。

「次は下北条、次は下北条....」

ホームにこだまする声が、今も唯一の思い出として手元にある。

3_1993・8・8 姫路にて

夏は街を包んでいた。浮かび上がる白い城郭が、終わらないかのような夜を明るく染め上げている。

私は一人芝生に転がりながら、つい3時間ほど前に去っていった楽しい災難に満ちた昨日と、まだ彼女と呼んでいいかどうかも判らない女性のことを思い返した。

地方都市の夜は早い。が、さまざまな人々が隙間のような隠れ家で蠢き、生を紡いでいるのは大都市と変わらない。異邦の徒である私は、そんな人々に驚かされ、またほほ笑みながら、こうして一人のときをすごしている。

ローカル線の小村を巡る旅、その前にはこうした街での早朝のひとときが必ずといっていいほど訪れる。始発の気動車を待ちながら、まだ見ぬ山間の分岐駅、そのホームから見える夏の昼下がりを想像してみたりした。

4_1983・4・20 丹後山田にて
赤いテールランプを残して、始発列車は彼方へ消えていった。
丹後半島の付け根にある小さな町の駅は朝靄に包まれ、ホームの端さえかすんでみえる。

向こう側のホームでは、今日で使命を終える古びた鋼体化客車が、最後の勤めの時を静かに待っていた。

上り方面から、微かなエンジン音が聞こえる。

ふと私は、丹波の鬼達が民のために活躍した古の中へ降り立った様な気がした。
それも、登る太陽と近づく列車のライトに照らされて消えていく。

....その136へ続く(出かける時は忘れずに)