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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その114

「あいよ」
「どうも」
取り引きは一瞬だった。

阪神タイガースの帽子を目深にかぶり、重い買い物袋を下げながら安西満夫(59)はかの店を目指していた。

店は駅の南口を出て線路沿いの坂を登った風俗街にある。

安西は人目を避けるように入り口を入ると、レジに座るオヤジの足下にその買い物袋を素早く置いた。入り口で立ち読み中の若いサラリーマンがチラとこちらを見る。
安西もリーマンの前の棚を見た。本日発売のオバケコミック誌が積んである。今朝イチで結構沢山入れたはずだが、もうほとんど在庫がないようだ。

精算は夕方の搬入の時だ。それまでもうひと働きである。

安西は店を出ると、駅の券売機で入場券を買って改札を抜けた。

....安西は一昨年前まで某大手銀行の支店長を勤めていた。その真面目さと仕事に対する執念じみた忠誠心によって、有能だが融資先からは畏れられ、部下からは煙たがられる存在であった。

だがその彼の人生は、大型合併にともなう大リストラと、自分がいた社内閥のトップが絡んだ不正融資で詰め腹を切らされ、その上ようやく気を取り直して、できた時間でカミサン孝行しようと思った矢先に妻に先立たれ....と、安西の人生の秋に「友人を連れてやってきた凶事」によって大きく捻じ曲がった。

それまで周りに疎まれながらも謹厳実直に生きてきたのは全て人のため、会社のためだった。それが半年の引きこもりの後に安西の座右の銘となったのは、
「他人なんか知ったことか」
だった。

安西は一日、黙って娘夫婦・息子と一緒に住む自宅を出た。今の住まいは中野の一泊千円、3畳一間の「ドヤ」だ。

そのドヤの同居人の紹介で、安西は今の「拾い屋」を始めた。読み終わった雑誌をごみ箱から拾ってきて売るアレである。

入場券で入り、各駅で降りながらホームの「雑誌捨て場」を巡回してまわる。手元の袋が一杯になったら戻ってきて店に収める。その繰り返しだった。大体雑誌が中心で一冊\100売り値が相場だ。当座のシノギと思って始めた稼ぎだが、やるにつれいろいろと面白いことがわかってきた。

普通は5〜6人が組んで回収部隊と販売部隊に分かれ、駅前売りをするのだが、なぜか新入りは販売部隊が多いらしい。これは回収にもコツがあるからだそうだ。

たとえば月・水は大物漫画雑誌が発売になる日だが、朝に出ても獲物が少ない。こういう日は9時半頃にターミナルで「定点漁」が有効なのだそうだ。また「オカズ」と呼ばれるエロ本は駅だけでなく、駅ビルのトイレが意外な穴場になっている。汚れがなければこちらは結構な実入りになるのだ。

それにどこでも自由に漁っているように見える同業者も、暗黙の内にテリトリーが決まっているらしい。それは路線だけでなく、どの駅のどの時間....というようなところまで決まっていて、大体毎日同じコースを同じ時間に巡回することになる。新入りはなかなかいい駅、いい時間に食い込めないのだ。

だがこの業界は健康に留意しない人間が多く、ある日突然「空白の時間帯」ができたりする。そうするとその時間帯を取るのは早い者勝ちになるので、常に観察は必要というわけなのだ。

稼ぎの方は通常グループで山分けになるので、たとえば5人のグループだと1冊拾って\20となる。だが安西は近所の怪しげな本屋と話をつけて持ち込みにしているので、本屋と折半で1冊\50だ。1日200冊集めれば\10000....結構な稼ぎだ。

だがいうまでもなくこれは半ば法に触れる稼ぎだ。所得税だって払っていない。
しかし今の安西にはどうでもいいことだった。
「いい年して、みっともないことはやめろよ」
携帯の番号だけ教えてある息子の政夫からは、たびたびそんな電話がかかってくる。どこから聞きつけたのか、今の安西の暮らしぶりを知っているらしい。

お役人の道を選んだ息子は昔の自分と同じように、いや、自分よりコチコチの堅物だ。電話してくるのだって、自分の身を案じてくれて...というよりは、役所での息子のメンツのためだ。そうにちがいない。
そんな雑音を無視して、「狭いながらも楽しい我が家」を満喫する安西であった。....

「マンちゃん、ちょっとちょっと」
「何だい、イロつけてくれんのかい」
「馬鹿いってんじゃないよ。ほら、これ見てごらん」
夕方、今日の日銭を取りに行くと、本屋のオヤジがシステム手帳を取り出した。
「何だこりゃ...」
「今日のあんたの品にはさまってたんだ。知らないか?」
「ふーん俺んじゃないぞ....女物だな、こりゃ....お、名前が入ってんな....『江戸川区西葛西xx丁目 三崎真奈美』か....ん?」
安西はページをめくるうちに、ふとその女性の走り書きのページに目を止めた。

”逢ってくれない.....今日も忙しいらしい”
”今日も仕事....もう何日になるかなぁ?”
”バカ、バカ、バカ、バカ、....でも好き”
”あんな女と....どうしてワタシじゃないの?”
”もう疲れた。何もかもリセットしたい....”

彼女の気持を書き留めたものらしい。なにやら穏やかならぬ様子である....
オヤジがメモと安西を交互に見ながらニヤニヤしている。
「・・・・何だい、気色悪いなぁ」
「どうすんだい、これ?」
「って、なんで俺に見せんだよ....でもそうだな、落とし主はわかってんだし、返した方がいいんじゃねぇか」
あいかわらずニヤニヤしながらオヤジが言った。
「満ちゃんったら....おせっかいでもやくつもりかい?」
「んなんじゃねえよ。でもなんかマチガイがあっちゃいけねぇだろ....」
「マチガイ、ねぇ....ま、あとはまかしたよ」
「お、おい....」

....翌日の日曜日、安西は西葛西の駅にいた。
環七を渡った住宅街の中にあるアパートが、手帳にあった女性の住所だ。
少しばかりの場違いなときめきを覚えながら、安西はチャイムを押した。
「・・・はーい、どちらさまですか?」中から若い女の気だるい声がした。
「あ、あのーワタシ安西と申しますが....先日三崎さんの手帳を拾ったもんで、今日お持ちしたのですが....憶えがありませんか?」
「安西さん....手帳.....あぁ」
ドアが開いて、長い髪の20代前半と思われる女が顔を出した。
化粧っ気がない割には素肌が綺麗だ。今起きたところなのだろう、はだけた綿のシャツの胸元が、安西には眩しい。
「あ、あははっ」安西の顔を見て、女が笑った。
「・・・・どうかされました?」
「あ、いえいえ...(クスッ)わざわざありがとうございます....ちょっと待っててくださいね....ねぇねぇ、ホントにいらしたわよ...

女は奥にいる誰かに声をかけた。
奥から男が現われた。

「まったくこんな手に引っかかりやがって....
税金払ってよ
 このエロオヤジ。


東京都税局に勤める、息子の政夫だった。


....その115へ続く(憧れの免税生活)