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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その106

社務所は黒門へと抜ける、城址を取り巻く道沿いにあった。香林坊から武蔵が辻へ通じる表の通りの喧騒が嘘のように静かな場所である。
宮司自ら煎れてくれたお茶をすすりながら、古町雅生(24)は平塚と名乗るその宮司に尋ねた。
「さっそくですが、宮司さんは僕の母をご存知とおっしゃいましたね.....母はどうもこの街で何かの研究に携わっていたようなのですが、そのことについて何かご存知なのでしょうか?」
「いえ....」宮司は静かに首を振った。「私はそのことについて何も聞かされていませんでした。そればかりか、宝生さん自身もそのことを思い出せないでいらっしゃるご様子で....」
「思い出せない....?」
「はい。私がここで初めて宝生さんにお目にかかった時、それが何かを一生懸命に思い出そうとなさってらっしゃいました」
「....それはいつ頃のことですか」
「貴方がお生れになる少し前の頃でしたですか」
雅生は宮司の話が、母のメモと矛盾していることに気づいていた。メモにあるとおり何度もこの神社を母が訪れていたなら、40年来ここに勤めているこの宮司と会っていないはずがないし、また研究内容を多少なりとも知らないはずがない・・・だが雅生は黙って宮司の話の続きを聞いた。
「宝生さんは神門を何度もご覧になりにいらしてました。最後にお越しになったのが丁度今ごろ、その年のオコモリノギが始まる頃でした」
「なんですか、その...?」
「『御篭りの儀』と書きます」宮司はメモに筆を走らせた。「宗家秘伝の儀式のため、一般にはほとんど知られていないのですが、加賀の伝統工芸家にとっては重要な年中行事のひとつですね。雪おこしが始まる頃にあの神門の楼閣に篭って、何も召し上がらずに数日間瞑想されるのです」
突然雅生の頭の中で、宮司の話と先ほど見た神門の内部とが交錯し、ある考えが閃いた。
「・・・・!それは何時頃から始まったものなのですか」
「歴史自体はそんなに古くなくて、神門が竣工した翌年の明治9年から始まったそうですが、なんでも御篭りなさった方が作風や技術に非常なインスピレーションを受けられるそうで、実際以降の作品の完成度が、それこそ人が変ったように高まった方が多いようです。この御篭りの儀あるからこそ、加賀の伝統芸能が今も連綿と続いているとする方もいらっしゃいますね.....不調法な私などにはいささか判りかねる世界ですが」
雅生は宮司の言葉の後半を半ば聞いていなかった。頭の中は先ほど見た文言が渦巻いていた。神無月....雪おこし.....謎の構造物.....『往還』....有り得ないことだが、そう考えることがいちばん理にかなっている。

「....そうそう、話にかまけておりました。こちらをお渡ししようと思ったんです」宮司が差し出す黄ばんだ封書を雅生は手に取った。「これは・・・」
「宝生さんが最後にこちらへお越しになってからしばらくして、私宛てに頂いた封書に入っていたものです。私への手紙には間もなく貴方が生れるであろう事と、もし万が一成長された貴方がこちらをお尋ねになることがあれば、そしてもし自分を置いて逝ってしまった私を許してくれるようなら、この封書を渡して欲しいというご伝言が書いてございました。そして、こうも書いてありました....『もし息子が、私が”ここ”で求めていたのと同じ道を歩むことになったとするなら、この書類が役に立つでしょう』....」
「そんな....僕が来る事、いや、僕が生きているかどうかもお分かりでなかったでしょうに...どうして?....」
「大した事ではありません」宮司は静かに微笑んだ。「この街の時の流れはそういうものですから....今までも、そしてこれからも...そして貴方は、そんな街に何度も足を運んでくださった宝生さんと、とても良く似ておられます」
「僕が....母に....」
宮司はうなずきながら、静かに立ち上がった。
「私はこれで失礼いたします。どうぞおひとりでこちらをお使いになってください」
「....ありがとうございます」雅生は宮司に深く一礼した。

広い社務所の一室で、ひとり雅生は封筒を開けた。

”まだ見ぬ私の息子の雅生へ”.....



....その107へ続く(城址坂下はネズミ取り場)