変な話Indexへ戻る

短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その105


「おかしい....おかしすぎる....」
古町雅生(24)はひとりつぶやいた。

彼の前には、申し訳程度のおかずを従えた、ゆうきまさみのコミックでしか見られないような見事な半球形盛りのメシが鎮座していた。しかもドンブリで....どうみてもドンブリ2杯にメシを詰め込み、重ね合わせたとしか思えない。
だが、彼の呟きはその非常識な盛りに向けられたのではない。

夜行で今朝金沢に着いた雅生は、その足で名刺にある小立野の研究所を尋ねることにした。うまくいけば、ここで母の舞子に会えるかもしれないのだ。
だが、雅生の期待はあっさりと裏切られた。

名刺の住所には、国立大学の工学部があった。だが、差し出された名刺を見た事務の女性は首をかしげながら言った。
「何かのお間違いじゃありませんか?当学部内にはこのような施設はございませんが....」
「あ、いえ、今もあるかどうか、あったとしても同じ名称かどうか....これは24年前の名刺なもんで」
「あの....失礼ながら私ここに勤続30年になりますが、当時もこのような研究所はございませんでした」
「それは....確かですか?」雅生は食い下がった。
「ええ、間違いありません」そっけない事務の女性の返事が返ってきた。

「どういうことだ....?」

わけのわからないまま、雅生が次に向かったのは広坂の市役所だった。
彼の前の本籍地に行く前に、彼女がそこに住んでいたということを確かめようと思ったのである。
また、あまり考えられないことだが、もし住んでいなかったとしてもそこが彼の本籍だということは、少なくとも彼を嫡出した舞子もそこに本籍を置いていたという記録が残っているはずである。

だが、ここでも謎にぶち当たってしまった。
「宝生舞子さんですね、少々お待ちください....」奥に引っ込んで端末を操作していた窓口氏が、さきほどの事務の女性と同じように首をかしげながら戻ってきた。
「おかしいですね....記録に残ってないんですが」
「そんなはずは....」言いかけて雅生はその言葉を飲み込んだ。さきほどの研究所での意外な対応からして、考えられなくもない結果だったからだ。

「・・・・やはり、行ってみるしかないか」
雅生は顔を上げた。雨はすっかり上がり、雲間から日差しが覗いているが、まだ雷の音が遠く響いている。行くなら早いほうがよさそうだ。
ほとんど手をつけなかったボタ山に心の中で謝りながらお愛想を済ませて外に出ると、それからまたも複雑な路地との格闘の末、ようやく目的の家屋にたどり着いた。

そこは、今では珍しくなった半ば間借りの学生アパートである。プレハブのような建て増しの長屋の表に雑誌の束や壊れたバイクが雑然と置かれ、いかにも学生が暮らしているという雰囲気を漂わせている。謄本にあった雨宮という大家の家は隣だった。

「ごめんください」
ベンガラ格子の玄関を開けて雅生は中に声をかけた。

出てきたのは60前後の穏やかな表情の女性だった。
来意を告げると、大家はやはり首をかしげた。
「宝生さん....はぁ、そんな方、おらはぁったがかなぁ...?」
「24年前の話ですから....ご記憶に無いかもしれませんが」
「はぁ...24年前?そらぁあんた憶えも何も、うちはその頃まだ間借りをやっとりゃせんがですわ」
「・・・・え?」
「このアパートを始めたのは10年前からですわ、近所の新聞屋に頼まれましてなぁ、『奨学生がおるさけぇ、軒先だけでも遣わしてもらえんがかのぅ』て言われたもんで」
「は、はぁ....失礼ですが、以前からこちらにお住まいで?」
「そうですが....うちゃあ、明治の前からここにおったがとです」
「そうですか....」
雅生は大家に礼を言って表に出た。
これで研究所、そして本籍地の線から母の行方を探る道は完全に立ち消えだ。
あと残るのは....

雅生はさきほど来た路線と逆のバスに乗った。
バスは兼六園と石川門をつなぐ陸橋をくぐり、すっかり紅葉の終わった街路樹の並ぶ市役所前の通りを抜け、にぎやかな人通りの香林坊で止まった。

ここでバスを降りた雅生は、城跡づたいにしばらく歩いて、洋風の神門が聳え立つ神社にたどり着いた。
近くで地元ガイドが団体客相手に繰り広げる口上が、聞くともなしに耳に届いてきた。

”・・・そして有名なこちらの神門でございます。明治8年に時の金沢総区長であった長谷川準也と大塚志良の兄弟が発起人となり、異才・津田吉之助が設計・建築にあたった和漢洋の三様式の折衷様式とも見える異様な形の門でございます。初層の3連アーチの骨組は、完全な木造で、日本建築の技法でできております。3層目は、4方に5色のギヤマンを嵌め、ここに灯をともして金石近海を通る船に燈台の役目をしたといわれています。避雷針の先までの高さは約25メートルございまして、この避雷針は当時市内で教鞭をとっておりましたオランダ人技師ホルトマンが設計したといわれていますが、実際に設計施工を行ったのはホルトマンの薫陶を受けたとされる今崎吉郎という人物であります。この今崎という人物の風聞と、避雷針の設置理由につきましてはさまざまな説があり、今回の大修理以降も調査の要ありとされ、歴史上の浪漫をかきたてる造作となっております。さて次は....”

遠ざかっていく団体客を尻目に、改めて雅生は神門を見上げた。

確かに神社の門としては異形であるが、構造としては力学的に理にかなっているように見える。ただ周囲の樹木と比較しても高いとはいえない建物に、果たして避雷針が必要だったのだろうか....?素朴な疑問が学究の徒としての雅生の心に湧いてきた。

折りしも平成の修繕が終了した記念として、特別に門の内部を見せてくれるらしい。これも何かの機会だ。
雅生はお賽銭をあげ、記帳を済ませると門の中へと通じる細い梯子を上っていった。

「・・・・これは・・・・」
茫然と感嘆の混じった表情で、雅生は門の内部構造を眺めていた。

さきほどのガイドの説明では、この神門は灯台の役目もするということで、当然内部もそれに準じた構造だと思っていた。だがそれは全く違っていた。

ステンドグラスに囲まれた部屋は暗く狭かった。その真中に、人が2人ぐらい入れる程度の陶器の風呂桶みたいなものがあり、その周りに無数の鉄線を細い管に渦巻状に巻きつけたものが巻かれているのだ。
そして陶器の頭頂部から少し低いところには、ドーナツ状の大き目の固く厚い円盤が周囲をぐるりと取り囲んでいる。叩いてみると中は中空構造らしい音がする。

陶器の周囲にはいくつもの樽が陶器をとりまくように置かれており、その中へと先ほどの鉄線がつながっている。樽の中にはアルカリ臭のする液体と透明な液体が中央の隔壁をはさんで満たされている。

鉄線はさらにそこから延びて、中空で巨大な円板に鉄線の先端が接するような形のものが橋渡しに10数個連なっており、その先は天井へと消えていた。おそらくは屋根の避雷針につながっているものと思われる。

陶器の横には、これも銅板を複雑にカットして、絶縁体の桧皮をはさんで貼り付けたパターン画のような1m四方の板が斜めに立てかけてあり、これにも鉄線が無数に接続されていた。

”倍電圧整流・・・平滑電解コンデンサー・・・サイリスタチョッパ・・・VVVF素子・・・多層基板・・そして・・・まさか・・・D/Dummy−D電極・・?”

そう、原始的な材料を使っているが、その陶器と周辺の付属物の構造は粒子加速器、いわゆる「サイクロトロン」に原理的によく似ている。

「しかしどうしてこんなものがここに....?」

思わず近寄って覗き込んだ雅生の目に、陶器に書かれた古めかしい文字が飛び込んできた。



彼ト其ノ往還神無月乃至師走ニ宜シ
往還ニ並ビ立チ無シ若シ之破ラレレバ其ノ一ハ将ニ無ク往還能ワザルベシ



「なんだ、これは....?」
文章自体は辛うじて読み取れるが、意味は不明である。往還....?神無月....?

「失礼、あの....宝生....雅生さんではございませんか?」
男の声にビクッとして、雅生は振り返った。
そこには宮司の格好をした、初老の男性が立っていた。

「は、はい....いかにも僕は宝生雅生です、今は古町といいますが....でもどうしてそれを?」
「失礼ですが参拝帳を拝見させていただきました。いや、公開させていただいているとはいえ、内部までご覧になる方は珍しいもので....ああ、申し遅れました。私は平塚博堂と申しまして、40年来こちらの宮司を勤めさせていただいております」
「40年.....?するともしや母を....?!」
「はい。私は貴方のお母様、舞子様をよく存じております。25年前に度々こちらへお越しになっていました」
「・・・・!では母がここへなぜここへ来ていたかもご存知なのですか?いや、僕の・・・僕を身ごもっていたことも・・・?」
「いかがでしょう、お見せしたいものもございますし、社務所のほうへお越しいただけませんか」
「は、はい」
静かに階段へ向かう宮司の後を、慌てて雅生は追いかけた。・・・


....その106へ続く(八来盛り500円也)