短期集中連載(笑)
旭町行きのバスを小将町で降りると、古町雅生(24)は時代遅れのカフェバーを横目に脇道に入り、細い路地の入り組む住宅街へと歩をすすめた。
・・・・雅生は初めて、自分の母の名前と、自分が生れた時の名前を知った。 それにしても、なんとなく違和感のある記録である。父の記録がない....これはまだわかるとしても、出生後1日で転籍とはどういうことだろうか?生れてすぐに里子に出される場合は、里親の嫡出子として入籍するのが普通と聞くが..... ”ひょっとしたら、かあさんはまだ生きているんじゃないだろうか?” 理由もなく雅生はそう思った。 そして、一度その人に会ってみたくなった。「せめて一目だけでも....」というような湿っぽい感情はなかった。ただ、自分をこの世に送り出した人がどんな人なのか見てみたいという興味があったのだ。 両親にそのことを告げると、父の泰生は重々しくうなずいて言った。 「いずれはこの日が来ると思っていたよ。母さん、あれを持ってきてくれ」 「はい」 母の美佐子が奥の間の箪笥から、一つの古びた封筒を持ってきた。 「もう知っていると思うが、お前の本当の母は宝生舞子という人だ」 「ええ、そのようですね」 「だがそのことに関して、お前に嘘をついていたことを謝らねばならん」 「どういうことですか?」 「舞子さんは」泰生は彼の母に敬称をつけて言った。「事故で死んだ....とお前には教えていたが、実はそうではないのだ。舞子さんはお前を産み落とすと同時に、姿を消してしまったのだ」 「・・・?!・・・どういうことですか?!」雅生は驚いて両親を見た。 「私たちと舞子さんが出会ったのは、この家の近くの裏路地だ。あの子はそこで気を失って倒れていた....特に身体に問題は無かったのだが、気がついてからもしばらく記憶が戻らない様子だった。すでにその時には雅生、お前がお腹の中にいたわけだが」 「・・・・」 「お腹が目立つようになってからの舞子さんは、お前が生まれてくるのをそれは心待ちにしている様子だった。だが、ふと何かを思い出したようにひどくふさぎ込むことが時々あった。そして時々誰にも何も告げず、ふっと居なくなっては数日後に帰ってくるということが何度かあった。何ゆえ彼女がふさぎこむのか、そしてどこに行っていたのかはついに話してくれなかった」 雅生は黙って泰生の驚くべき話に耳を傾けていた。 「陣痛が始まって入院した舞子さんは、看護婦が止めるのも聞かずになにやら一心不乱に手紙を書いていたようだった。そして陣痛の間隔が短くなりはじめた頃に私たちを呼んで、その手紙を投函するように頼んだ後でこれを手渡したのだ」 泰生は手の中の封筒を雅生に渡した。 「中を見てもいいですか」 「もちろん。舞子さんはお前にそれを見てもらおうと私達に託したのではないかと思うのだ」 雅生は封筒の中をみた。 そこには封筒同様に古びた手帳と、一枚の名刺が入っていた。 名刺には、
と記されていた。研究所の名称からして、雅生と同じような方面の研究をしていたと思われる。そういえばかの地では、落雷防止のための研究が世界的にも有名である。 手帳のほうには、舞子の研究スケジュールと思われるものが書かれていた。
「・・・・?」 思わず雅生は首をかしげた。強電研究の最先端だったと思われる研究所の所員が、神社の調査や伝統芸術家との懇談など、一見何のつながりもない作業にかなりの時間的リソースを割いている。ただの趣味とも思えないが....メモはさらに続いた。
・・・・メモはそこで途切れていた。 雅生の疑問はさらに深まった。 警察の介入を招いたということは、何らかの事件があったということだろうか。だが結局、舞子が何をしようとしていたか、そして何をしたのかはこのメモからはさっぱりわからない。・・・・ 「・・・・お前の母さんは」泰生の声が聞こえた。「舞子さんは出産直前に、分娩室へ連れて行こうとする看護婦に『1分だけ一人にしてください』と無理を言ったらしい。あまりに真剣な彼女の表情に、舞子さんをひとり待機室に残して廊下に出た看護婦さんが、お前の泣き声に気づいて慌てて部屋に飛び込むと、へその緒をつけたままのお前が一人で泣いていたそうだ。舞子さんの姿は影も形もなかったらしい。しかし待機室は病院の5Fにあって、ドア以外の場所からは外に出ることも不可能で、まさに煙のように消えてしまったということなのだ。以来舞子さんは、私達の前に姿を見せていない」 「・・・・僕は」やっとの思いで雅生は喉から声を絞り出した。「僕は、かあさんに捨てられたのでしょうか?」 「....そんなことはない....と、私は今でも信じている。お前が生まれる前、男の子とわかったときの彼女の喜びようといったらなかった。そして『雅生』と言う名前はずっと前から決めていたのだと、とても幸せそうに話してくれたのを今でも覚えている。どういう経緯があったのかはわからないが、そんな舞子さんがお前を捨てて行ってしまったとは、どうしても私には思えないのだ。お前が取り寄せた戸籍、あれも舞子さんが記録という形でお前のそばにいつまでも残るように、あえて附票をつけてもらっていたのだ」 「そうですね・・・・」今は、泰生の言葉を信じるしかない....そう雅生は思った。それにしても.... 「一度あの街へ行ってみなくてはならないですね」 雅生は泰生にそう言った。 「私もそうするべきだと思う。今となってははっきりと思い出せないが、彼女が最後に託した手紙は、やはり金沢の誰かに当てた手紙だったように思う」 「わかりました」 それは彼の過去を尋ねる旅になるはずだった。.... |