短期集中連載(笑)![]()
−この物語は、フィクションである−
その99
人類がその足跡を宇宙に印してからすでに3世紀が経過しようとしている。火星は一般市民の居住区域となり、大型外惑星からの液体重水素採取プラントは、コスト的にも、また生産量の上でも地球洋上のそれを遥かに凌ぐレベルに達していた。
だが、人類の夢である恒星間超光速航行は、いまだ空想の領域を出ていなかった。少なくとも、物理的には・・・・
空間の歪曲としての重力波を物質移送ではなく通信手段として利用する研究はかなり以前から進められていた。
これが可能になれば、これまでの電磁波通信のように太陽系内でも最大数時間オーダーのタイムラグが発生する状態から、どれだけ距離が離れていてもリアルタイムデータ送受が可能な状態へと移行でき、その技術的/社会的意義は計り知れないものとなると期待された。
だが実用化寸前で、重力波通信は重大な問題に直面したのである。
かつて、『脳は生命体最後のフロンティア』と言われた20世紀末、極めて非唯物的な心理学に頼らざるを得なかった心の動きの解明が、21世紀中ごろまでには脳内の神経伝達物質と神経細胞間の伝導によってもたらされるメカニズムであるとほぼ証明された。だが、既に忘れ去られようとしていた心理学の一派が唱えた「共時性」「集合的無意識」といった概念が事実存在し、しかもそれは永きにわたって大脳生理学的に説明が困難な領域であったのだ。
大脳生理学者の多くは、これらの現象に脳波の伝播が関与しているのではないかと考えていたが、電界強度の面からみてもそれでは不十分な仮説だった。だがそれは意外なところから突破口が見出されたのだ。
先に記した重力波通信の試験中、スタッフの中に強度の鬱・パニック、そして統一性障害といった精神的障害に陥るものが続出した。
彼らの多くは「頭の中を覗き見られている」という意識を持っており、これが実験と何らかの関係があるのではと分析が行われた。
その結果、大脳皮質の灰白質の中で今までその働きが不明だった領域に、極めて微細な空間の歪曲を検知する能力があることが判明し、のみならずある特定のパターンで大脳が活動すると、この部分からほとんど重力波計では検知できないほどの重力波が発信されることもわかった。
つまり驚くべきことに、人間の脳は重力波通信モジュールをその原始的な領域にしまい込んでいたのである。
ESPerと呼ばれるある特殊な能力を持つとされる人々は、実はこの領域が常人に比べて非常に高感度かつアクティブな状態にあるということも観察によって判明した。
また火山や巨大な岩盤があるといった特殊な地形の場所は人間の意識をある特定の方向へ広げる(東洋の伝統医学では『気を巡らせる』と表現しているが)ことが経験的に知られていたが、これもその地形が形成する重力場がこの大脳領域に影響を与えていることが原因であると推定された。このようにして、20世紀の理論物理学者が直感していた「精神世界と物理世界のつながり」が明確になったのである。
実験スタッフの精神障害は不幸な結果だったが、人類はすぐさまその可能性に着目した。人間の意識は「電波」「光」などというのろまなものではなく、瞬時に伝播するものであることがわかったのだ。たとえそれが、宇宙の深遠であるとしても!
可能性は「思念通信」と「超遠距離思念観測」という2つに分かれていった。
前者はスクランブル可能な重力波増幅器の開発により、太陽系内の惑星間でもリアルタイムに通信可能な利便性をもって従来の「電話」を確実にリプレースしていった。
後者はそれよりやや遅れたが、宇宙空間に充満する重力波バックグラウンドを排除するべく開発された重力波中継人工天体が太陽系内での試験を成功裏に終えて、最大光速の20%という恐るべき加速能力を持つ複数のフライバイ式恒星間航行船に乗って、順次隊列をなすように太陽系を離れた。
そして一号機が地球から5.9光年の距離にある近接の恒星バーナードに到達する今年初頭から、技術的な限界である500光年先までの直接思念観測が可能になった。これにより、「500年前」ではなく文字通り「今」の500光年彼方の状況が手に取るように観察可能になるのである。
これは天体物理学者のみならず将来民間に普及したあかつきには、「恒星間思念ツアー」として、人類が夢見た恒星間旅行がまさに現実のものとなる可能性を示唆していた。
ただ一点、この「思念観測」について現段階で改善すべき点があるとすれば、現在最高性能の重力波増幅器をもってしても、人間が通常活動状態で発生できる重力波をバーナード星付近まで、重力波バックグラウンドに打ち勝って有効レベル伝達するには性能が重力波強度で2ケタは不足しており、これをカバーするために観測者の脳以外の部分の代謝活動を低温サスペンドによって最低限まで下げ、脳の活動レベルを代償的に最大限に引き上げてやる必要があるということだった。
しかし、元々脳だけを頼りに生きている「学者」たちにとっては、そのようなことはあまり問題ではなかった。人類史上初めて深宇宙の今を目の当たりにする幸運を求めて、USSD(地球連邦宇宙開発局)オフィスには世界中からの実験参加要請が殺到した。
少なくとも観測が開始され、今まさに目の前に展開されている惨劇に遭遇するまでは。....
「....#4ポッドのマイア・ローエンシュタイン博士、低温時バイタル下限を切りました!」
「第57野活動レベルはどうだ?!」
「依然、最高レベルです」
「エマージェンシーコールは?!」
「さきほどからやってますが応答ありません」
「最大許容時間をどのくらいオーバーしている?」
「すでに16時間経過しました。緊急レジュームに移行しますか?」
「世界最高レベルの天体物理学頭脳と引き換えにか?廃人生産にはまだ早い、コール続けろ」
「了解しました」
「・・・ボス、エレクトラ・フィッシャー技師とメローペ・ロペス博士の酵素レベルが細胞溶解下限を超えています。ともに現在壊死進行ステージ2、最大でもあと10分以内に戻らないとレジューム後も生体機能を維持できません」
「わかってる!」
火星第一衛星フォボス上にあるUSSD重力制御研究センター1号棟で、各低温ポッドのバイタルインジケータを睨みながら、鬼塚陽司(48)は思わず声を荒げた。”まったくあれほど時間厳守と言ったのに、頭デッカチの馬鹿どもが....!!”
現在の代謝制御技術では、低温サスペンドの安全限界はわずか20時間、これを過ぎると徐々に抑制されていた酵素が活性を取り戻し、肉体を消化していく(肉屋の言葉を借りれば『熟成する』)のだ。
とはいえ危険レベルに達した生体を元に「急速解凍」する緊急レジュームは最後の手段だった。脳の了解無しに急激に代謝を復帰させると末梢血流回復のリバウンドによって、ハイパーアクティブ状態にある脳還流および脳内神経インパルスがストールし、体は無事だが脳がクラッシュという、いわゆる古典医学でいう「脳死」状態に陥ってしまうのだ。物理的代謝制御技術が進歩した現代では、それは肉体的には致命的な事態ではないが、復旧にあたって脳に後天的に記録された全データが強制的にリセットされてしまう。つまり肉体の無事と引き換えに「巨大な赤ん坊」を生産してしまうことになるのだ。
したがって覚醒のための現実的な方法としては、低温サスペンド中の人物自身の脳が自覚的に「体を起こす意識」を持つしかない。
というわけで、他者が「思念観測中の観測者」を強制的に起こす方法は事実上なきに等しく、できることといえば脳内へ微弱な覚醒催促パルスを送る「エマージェンシー・コール」ぐらいだったのだ。
記念すべき思念観測の第一陣に選ばれた28人の天文学者が、低温サスペンドポッドに入ったのは一昨日の昼前だった。
大部分の観測者は定時までにポッドを出て、その驚くべき体験を口々に語り合い、スタッフの間には成功の興奮が充満し、歓声があちらこちらから上がった。
だが、それも長くは続かなかった。
すべて女性の研究者が入っている7つのポッドからは、依然覚醒の兆候が見られない。大脳第57野から発信される重力波は依然最高レベルを維持したままであり、彼女達が極めて熱心に観測を継続中であることを示している....もっとひらたく言えば「ピクニックに行って駆け出していったきり帰らない」状態にあるのだ。
残り4つのポッドにはそれぞれ、「事象の地平線」付近のポテンシャルエネルギーを外部に放出する特異型ブラックホールの研究で著名な理論物理学者ケレーノ・ザネッティ、銀河中心からのジェット流量計算モデルを考案した数学者ティゲータ・ルメール、クエーサー中心の反物質生成を予測した理論物理学者アルシオン・マルコス、そして環太平洋電波天文台群・南鳥島データ集積所長の天文学者カリプソ・オランテスが入っている。いずれも宇宙研究の最先端を担う若き頭脳たちだ。だが....
「『3人寄れば姦しい』とはよく言ったもんだ....」
彼女達を見るにつけ、鬼塚はボヤかずにいられなかった。
彼女達は皆10代後半から20代前半で天文学史上に残る研究成果を上げているが、どうやらその驚異の天才と引き換えに「規律」「礼儀」「謙譲」といったものをどこかに置き忘れてきたらしい。到着早々意気投合した彼女達は、徒党を組んで他の研究者に議論を吹っかけるは、無許可で地上車を持ち出して緊急用携帯スペースポッドで電波天体観測を兼ねたキャンプを張るはと、まさにやりたい放題だった。
これが学会の権威をかさにきた行動だったら、鬼塚としてはなんの躊躇もなく基地から叩き出していたところだろう。だが鬼塚のみるところ、彼女たちのそれは単なる「無邪気な悪戯」だった。要するに彼女達は、オトナの格好をした「悪戯好きの天才少女」たちなのだ。
基地の中をちょこまかと動き回る彼女達を追いかけまわしながら、鬼塚は12年前にイオノクラフトの事故で妻ととも失った2人の娘を思い出して苦笑していた。鬼塚は彼女達に、父親の感情にも似たものを抱き始めていたのかも知れない。
....その「娘たち」が帰ってこない。
鬼塚は「落ち着け」と自分に言い聞かせた。残された時間は少ない。彼女達を直接説得にいくしかない。だが....
「ブーカー、彼女たちのプライベートスクランブル設定はどうなってる?」
鬼塚はオペレータの一人に声をかけた。
「設定イネーブルです、ボス。7人全員が共通サイコパスを使って連絡を取り合っているようですが、それ以外の外部に対してはパスが閉じられています」
「よし。ブーカー、プライベートスクランブル解除ユーザー設定。それとポッドの用意だ」
「ボス、いいんですか....?!」
ブーカーは驚いて鬼塚を見た。
思念通信発見の元となったあの最初の重力波通信試験の大惨事以来、ノンスクランブルの重力波通信はあらゆる状況を問わず固く禁止されていた。スクランブル解除ユーザーは重力波通信に強制割込みをかけられる反面、自分の意識をユニバーサルに開放する事になる。大抵の人間はこうした「開かれた自分」状態に耐えられないため、その使用はタブーとなっていた。それを破って、鬼塚は彼女達が互いに連絡を取り合ってるパスに強制割込みをかけて、こちらの世界へ引き戻そうというのだ。
「時間がない、急げ!」
「わ、わかりました」
鬼塚は接続用スーツに着替えると、#8ポッドに飛び込んだ。
内部は体温および体内代謝の検知機能を持つ常温超流動LCGで満たされており、内部に没してもそのまま通常と変らず生命活動を維持できる。脳の神経線維とコンタクトを取るレーザーターミナルと、頚部から皮膚を浸透して脳へ直接還流を行うHPS、そして脳以外の器官を低温に保つためのバイパス還流システムHTCSが伸びてきた。
「レーザーコネクト、全ターミナル完了しました....頚部ハイパーペネトレート開始....頚部バイパスシールド4系統すべて完了....還流開始....確認しました。他器官との遮蔽率99.98%。HTCS動作開始....還流開始しました、脳を除く体幹部体温順調に低下中、酵素活性抑制、上限レベルまで推定あと10秒、9、8、....サスペンド完了。いつでもOKです、チーフ」
「よし、始めてくれ」ポッドの中で、鬼塚は思念を発信した。
「了解、接続開始、ブロードキャストモード、固有IDとパスをお願いします」
かつて人類史上、一度も実用に用いられた事のない思念通信モードだ。これをもちいることで鬼塚は、自分の意識を全ての思念通信中のユーザーに開放する事になる。
「xxxx....」彼に与えられたパスを念じた。
「認可されました。接続完了まであと5、4、3、2、1...ゼロ!」