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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その85

鉛色にくぐもった海と空が、窓の外で雪の白と混じり合う。眼下に見える磯からは、冬の波涛の飛沫が線路まで覆いかかってくるようだ。

始発の金沢駅では凍えるようだった車内は、すっかり暖かく春のような温度である。
入来隆久(19)は時刻表を膝の上に置いたまま、スノーシェードとトンネルの合間から覗き見える親不知・市振の荒磯をぼんやり眺めていた。
一人きりの、クリスマスイブの旅の途中である。

入来はこの後、わざわざ上野に一度出てから寝台急行「天の川」で秋田を目指すつもりだ。今乗っている旧型客車編成の各駅停車を糸魚川で特急に乗り換えれば、時間的に少し余裕が出来る。
だが、入来はこの列車の雰囲気が気に入っていた。
車内に人影は無く、ただニス塗りの席の窓際でスチーム暖房のパイプが「キン、キン」とカナトコをハンマーで叩くような音を立てているのが聞こえるだけである。
”このまま直江津まで乗っていこう”
入来はそう決めた。すると、急に睡魔が襲ってきた。

・・・・どのくらい眠っただろう。
列車は海辺の村の小駅に着いた。『つついしー、つついしー.....』
”え?つついし...?”

入来の記憶では、筒石駅は昭和44年9月の浦本〜有間川間新線切替で、トンネルの中の地下駅になったはずである。
しかも、遠く潮騒に混じって蝉時雨が聞こえるような気がする。
窓の外を見ようとした入来だが、眠くてどうしても目が開けられない。

ふと、人の動く気配がした。
『失礼、こちら座らせていただいて宜しいでありますか』
姿は見えないが、口調と言葉遣いからすると、若い軍人のようだ。ますます入来は不思議な感じがしてきた。
『あ・・・はい。申し訳ありません』
軍人の語りかけに対して、オロオロした若い女性の返事があり、それに重なるように赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
『あぁ・・よしよし・・・・申し訳ありません』
女性が赤ん坊をあやしながら、誰にともなく謝っていた。

列車が動き出した。
列車はトンネルに入る気配も見せず、名立駅を過ぎて半島を回り込むように波打ち際を走っていく。窓側の頭もたせに寄りかかった入来に、先ほどとうって変わった、夏の強い日差しが照りつける。
”・・・俺はいったい今どこに・・・?それともこれは夢か?”
混乱したまま眠る入来の耳に、先ほどの軍人と女性の会話が聞くとも無く聞こえてくる。
『そうでありますか。ご主人は・・・』
『はい・・・でもお国のために・・・この子もいずれ・・』
『その・・・ですが・・・本日正午・・・・噂では玉体御自ら・・・』
『そのことは・・・・・ですが本当に・・なのでしょうか』
『いずれにしても、全国民が・・・・べきでしょう』
それっきり、ぎこちない会話は途切れた。

列車は、次の小駅で停車したまま、動かなくなった。
乗客が、一斉にホームに降り、駅前へ粛々と歩いていく。
あの軍人と女性も、肩を並べて広場をめざした。
入来も、なにかそちらに向かわなければいけない気がしたが、身体が言うことを聞かなかった。
やがて、酷いノイズ混じりの文語調朗読が、遠くかすかに聞こえてきた。

『・・以て万世の為に太平を開かんと欲す・・』

”あぁ、あれが・・・・すると俺はあの日に・・・”
入来が知識として知っているあの日を、列車は走っているようだった。
この旅は、この先どうなるのか?
このまま、この国はどうなってしまうのか・・・・?

だが、何も変わることはなかった。
広場に集まった乗客たちは、無言のまま三々五々車内に戻ってきた。
あの軍人と、眠ったままの赤ん坊を抱いた女性も、入来と同じ席についたようだ。
何事も無かったかのように、列車は有間川と思われる駅を発車した。

ひどく暑い車内。
煤けた窓には、もう何ヶ月も清掃が入っていないようだった。
でも窓の外には、青い海と美しい松の木々が輝いて見えるような気がした。

『では、私は次の駅で・・・・』
『そうでありますか、小官は公務がありますので、直江津まで・・・もうそれもなくなりそうですが』
『あの、もしお時間がございましたら、お立ち寄りください』
『よろしいのですか、小官などが』
『ええ、是非・・・』
つむった目蓋の向こうで、若い二人が少しだけ微笑みあったような気がした...

”....えつー、なおえつー。終点です。車内にお忘れ物の無いよう...”
列車の止まる気配に、入来は目を覚ました。

あの青空はすでになく、1番線の屋根の隙間から鉛色の空が垣間見えた。
少し頭を振ると、入来はまた一人きりの旅を続ける。







....その86へ続く(国敗れてサンガリヤ)