短期集中連載(笑)![]()
−この物語は、フィクションである−
その75
「くっ・・・・!!」
立石美来(26)は横と後方への両加速度に耐えながら、相対しているのが恐るべき敵であることを悟った。
飯倉入り口付近、上り右コーナー。美来のエボ5は3速ホールドのまま、4G63は7000回転付近で咆哮を上げている。クロスレシオのエボ5でも、4速にアップするかどうか微妙な所だ。
メーター読みでは150km/h付近に達しているが、それでもあの特徴的な角張ったクーペボディのテールが離れていきそうになる。美来はそれまで漠然と頭にあった疑念が、確信に近いものになっていた。
「まさか...まさか本当にロクゴー...っ?!」
....かつて、「日本初のツインカムターボ」TA63セリカのグループBホモロゲーションモデルとして、「TA64」と呼ばれる1791cc・4T-GTEエンジンを搭載した「GT-TS」が生産された。だが、トヨタはさらにかのランチアデルタS4を打倒すべく、グループS用に2種類のモンスターマシンを極少台数製作しようとした。
ひとつはラリー通の間で良く知られた、現在ケルンのTTE本社に所蔵される「SW11」とでも呼ぶべきMR2ベースの「TOYOTA Gr.S Prototype」である。だが、もうひとつ、2.2リッターのユニットを搭載した「TA65」が存在したことは、ほとんど知られていない。
それは形こそかのTA63/TA64セリカクーペと同じであるものの、中身は全く別物になっている。マルチチューブラーフレームにFRPボディを外装し、サスペンションは4輪ストラットを採用していた。そしてエンジンは、2.2リッターまでボアアップされた5T-GTEで、3T-GT/4T-GTのツインスパークヘッドをシングルに変更、16バルブ化されており、水冷インタークーラーターボで過給されたその最高出力は550PS以上という驚異的なチューンが為されていたという。そしてパワートレーンはセンタービスカス/リアトルセンデフを装備したフルタイム4駆を採用し、なんとエンジンはフロントからミドシップ横置き搭載に変更されていた。
最終的にはグループSそのものが消滅したために発表すらされず、まさに「幻のマシン」となってしまったようだ。
美来は車の保安部品を扱う今の会社に入って間もなく、同行実習の訪問先で以前TTEにいたというクライアントにその噂を聞いた。もとより車好きの美来である。その時はその存在すら定かでないモンスターマシンの話でクライアントと大いに盛り上がってしまったのだが、まさかこんなところで本物に出くわすとは....
....美来のエボ5は高回転に振った大口径タービンに換装、470PSまで出力を上げている。美来自身のスラロームテクニックと的確な読みともあいまって、「水曜日の」首都高C1では無敵の存在であった。そう、ここ1ヵ月ほど前までは....
美来は、胸元に冷たい汗が滲むのを感じた。
「お疲れ様でしたー」
その日美来は、5時きっかりに仕事を終えた。彼女の職場は変則的で、日曜と木曜がお休みである。
着替えを済ませて夕方の街に繰り出していく同僚の女の子に声をかけると、美来もロッカールームで制服を着替え、足早にトイレに駆込んだ。ゆったりとしたジャケットとスカートを脱ぐと、鞄から美来の戦闘服を取り出した。
今日はツインリンクもてぎエンジェルの'2001White/Blueバージョンだ。Tバックショーツの上からラメの入ったストッキングを履き、超ミニのスカートを着る。そしてすその下からアンダーバストが見えそうなタイトなハーフジャケットを取り出した。本物のエンジェルは下に「M」のロゴが入ったタンクトップを着ているが、美来はそれを素肌にはおり、胸元のファスナーを閉める。少しキツめに目元を書いて、パール系のリップをひいた。
ここまでは「レースクイーン」と同じなのだが、美来の足下はブーツの代わりにスニーカー、そして手の中にはパラソルの代わりにブラックレザーのスポーツグラブがあった。「首都高バトル」という非日常へ出撃するための、いつもの美来の儀式だった。
とはいえこのままではとても外に出られないので、とりあえず会社の営業用ブルゾンとスカートを上に着てコスチュームを隠し、近くの社用駐車場に止めたエボ5へと急いだ。車好きの上司に一度乗せてくれとせがまれる度に「ええ、また今度」と笑顔で応える美来だが、もとより彼女の秘密の仕事場に他人を迎え入れるつもりはない。たとえそれが、カレシであっても。
車の中で改めて"Racing queen"に変身した美来は、狩場線からベイブリッジを抜けて湾岸線に入り、レインボーブリッジを渡って芝浦PAに車を止めた。
「おーいミク、こっちこっち」
携帯で連絡のあった水曜仲間のイサムが、「氷」の旗がぶら下っている休憩所の入り口で手を振った。
「久しぶり。で、どおなの?」
「先週はカズオがやられた。とにかくイカレてるよ。新富町のオービスんところに170kmオーバーで突っ込んでいくんだ。ありゃとても女とは...」言いかけてイサムは慌てて口をつぐんだ。
「いいって。あたしだって女を武器にバトってるわけじゃないから。でもどんな人なのかしら」
「それが誰も顔を見た事がないんだよ。バトルはいつもそいつの先行でスタート、ちぎられるか、抜くかで終りなんだけど、結局みんなブッちぎられてジ・エンド、リヤから見えるシルエットを拝むのが精一杯ってカンジなんだわ。しかしなんであんなロクサンなんて古いマシンを...」
「ちょっと待って!ロクサンって....あのTA?」
「そうだよ、あのカクカクのセリカクーペ。よくあんなパワステじゃないマシンをあんなふうに操れるもんだってみんな言ってたよ」
美来はうなずいた。
あの当時のマシンは確かにパワステを装備していなかった。だが一般にいわれるような『重くて女性には操作が難しい』という常識は、ここ首都高では通用しない。むしろクイックなハンドリングを想定してハイギアードに設定されたそのステアリングは、美来のステージである高速コーナーリングでは超ナーバスなハンドリングを余儀なくされるのだ。それにこの速度領域では、空力的に煮詰めが甘い当時の直線的なデザインといったファクターの影響も大きくなる。美来はそんなピーキーなマシンを駆って彼女の仲間を次々と撃墜しているその女の腕に舌を巻いた。
「来るかしら、今夜...?」
「多分ね。彼女も水曜オンリーらしい」
週末にはC1は地方からの遠征組も含めて猛者が集結し、美来たちのレベルではとても太刀打ちできないが、比較的空いている水曜日ならいい勝負になる。というわけで、自然とその中で最速の美来を中心に「水曜組」ともいえるグループができていた。もちろんその連中の多くは美来の『コスプレクイーン』ぶりを楽しみにしている所も大なのだが、それはともかく、これまでにない強敵が現われたとなっては、背を向けるわけにはいかない.....
....23:00を過ぎるとタクシーの群れもそろそろ一段落してくる。美来は外回りを120km/hほどで流しながら、ジャンクションでそれらしきマシンが流入してこないか目をこらしていた。いつも混雑で速度の落ちる谷町Jctを通過し、霞ヶ関入口を抜けて断続するトンネル内の左タイトコーナーを過ぎて三宅坂Jct......「来た...?!」
美来の目に、四角く出っ張ったリヤオーバーハングに光るつり目ぎみのテールランプが左から数台前に合流してくるのが映った。すばやく追い越し車線にチェンジし、前方に出た。パッシング3発....ハザードの返答。「あのコだ...!」TAは猛然と加速する。戦闘開始だ!
代官町から江戸橋にかけてC1は比較的アップダウンが多く、コーナーはゆるやかなものが連続する。美来は全開でいかず、しばらく様子を見ることにした。
R32GTS-tタイプM、S15、そしてZ32....今まで美来がC1でバトルを繰り広げたFR車は、例外なく「突込み命」で美来に挑戦してきた。その都度美来はエボ乗りの鉄則に忠実に「突込み我慢、立ち上がり全開」でこれを退けてきた。だが先行するTAは違っていた。コーナー進入の度に接触するほどのテールトゥーノーズになる。進入速度がかなり遅めだ。
「これなら意外に早く決着がつくかもしれない」
美来はそう思った。が、同時に微かな違和感をぬぐうことができなかった。
最初に美来がしかけたのは江戸橋Jctだった。上野方面からの合流車を遠目に確認して、合流点手前から絶妙のタイミングでアウトに飛び出し並ぼうとする美来。ナトリウムランプに照らされて浮かび上がるTAのコックピットには、ベロアっぽい黒い生地、そして襟と袖口ににレースの縁取りのワンピースを着た女性の姿が一瞬見えた。美来は内心苦笑した。
”レースクイーンvs.ゴスロリ、これじゃまるで女子プロレスみたいじゃないの・・・”
しかしそれも長く続かなかった。やがて合流を過ぎコーナーを立ち上ると、京橋付近までは激しいアップダウンが連続する短いストレートだ。美来はいつもの通り、4G63のスロットルを全開した。カタパルトから発射されたミサイルのごとく突進するエボ5、これで勝負はついた....はずだった。
しかしTAは美来の予想を超えて、信じがたい怒涛の加速を見せた。美来のオーバーテイクを許さず、あまつさえ車体一台分前に出てみせたのだ。
「・・・・・!?」
違和感は一気に美来の中で驚愕混じりの疑念となって膨れ上がってきた。TAはタクシーの群れを的確にスラロームしながら、イサムの言ったとおり、新富町のオービスに接近しても速度を落とさず、170km/h近い猛速で下りコーナーへ突入していく。咄嗟に美来はテールに貼りついてレーダーをかわした。アンダーパス直後のボトムで両車ともサスが底突きして大きくあおられる。美来は慌てず細かなアクセルコントロールでそのまま右コーナーを立ち上がろうとする。が、フロントヘビーなFRのTAは一気に前輪荷重が抜けて....
....破局を想像した美来の目の前に、ステアリングを切り込み、美来と同じように前輪の駆動力でコーナーを脱出していくTAの信じられない姿があった。
”・・・マジ・・・?!”
動揺しながらも、美来は続く浜崎橋Jct、芝公園付近のS字、そして飯倉Jctと連続してアウトから仕掛けた。だがコーナーで並んでも、どうしても立ち上がりで置いていかれる。ここに至って、美来は相手マシンの正体を悟らざるを得なかった。
「信じられないけど確かにあれはロクゴーだわ....とすると今までの私の走りは....」
そう、同じ駆動系、ほぼ同じ重量、そして対等以上の動力性能をもつマシンに今までの美来の走りは通用しない。立ち上がり加速で不利な以上、今度は逆に美来が突込み速度をギリギリまで上げてアドバンテージを稼ぐしかない。あとは....あとはC1スペシャリストとしての美来の経験とカンだけが頼りだ。
勝負は2周目に入った。TAは明らかにペースを上げてきている。一周めは相手も様子見だったのだと美来は悟った。霞ヶ関から代官町にかけてTN内のタイトなS字コーナーは、まさに美来にとってギリギリ目一杯だった。エボ4からはだいぶ改善されているとはいえ、下りコーナーで暴れがちになるエボ5のリアを押さえつけながら、呉服橋までは我慢だと自分に言い聞かせた。やはり勝負になるとすれば江戸橋Jctしかない。右タイトコーナー、そして合流....
なんとか引き離されないまま、美来は江戸橋に近づいた。さっき合流車を読んで美来が仕掛けたことに、TAも気が付いているだろう。
美来は1号線上りと並行するわずかなストレート区間でアウトに飛び出し、そして何かに気づいたようにまたインに戻った。それとほぼ同時に、コーナーに進入しながらインからアウトに逃げようとしたTAがブレーキランプをフラッシュ、またインに戻った。ヘアピンに近いタイトコーナー内での、その無理なライン変更が一瞬、TAの出足を鈍らせた。
「チャンス!!」
タイトコーナーを抜けた美来は、合流点のゼブラゾーン通過と同時に再びアウトに流れ、3速全開でコーナーを立ち上がった。TAも続いたが、ターボの反応もワンテンポ遅れたようだ。宝町に至るまでの加速競争で、美来はTAのノーズを抑えることに成功した。
上野方面からの合流がないことをいち早く察知し、それを逆手に取った美来の作戦勝ちだった。
勝負はついたが、ギリギリの戦いだった。
「相手はどんなコだろう・・・?」美来は速度を落としてハザードを出した。昔の車らしくフロントにもスモークが入っているが、どうやら相手はランデヴーに応じたらしい。
11号台場線を過ぎ、湾岸大井PAに戻ってきた美来たちは、互いに運転席から降りてきた相手を見て凍結した。
「む・・・・らかみ・・・部長?!」
「た、た、たていしクン・・・・どうしてっ?!」
ファスナーを少し降ろして、露わになった胸元に汗が伝うレースクイーン姿の美来の前には、パニエでボリュームを出した黒のエプロンドレス、下は白のストッキングに身を包み、ご丁寧にウィッグにヘッドドレスまでつけた見覚えのある中年男性が立っていた。丸眼鏡の奥のうろたえ顔は、確かに美来のエボ5に乗せてくれとせがんでいた会社の上司、村上秀春(49)その人である。
先ほどの勝負のクライマックス同様、立ち上がり、いや立ち直りは美来のほうが僅かに先だった。
「・・・素敵な趣味をお持ちなんですね」
とりあえず、謎は山ほどあり、そして美来は混乱していた。
だが、『中年男の女装』というものすごい違和感を別にすれば、スマートで細面の村上のメイドさんコスプレは意外に似合っている・・・美来にはそう思えた。あるいは非普通ファッションで首都高を爆走する部長に、自分と同じ匂いをかぎとったせいなのかも知れない。
「い、いや・・・これはその・・・立石クンこそ・・」
「いいんですよ。このことは2人だけのヒミツにしときましょ。ね、秀ポン」
「ひ、ひでぽん?!」
「そう、ここではあなたは秀ポン、アタシはそうね....秀ポンに勝ったからご主人の美来サマってことで。いいでしょ?」
「う、うーん・・・・」
「立場をわきまえなさい。秀ポン?」
「・・・そうですね・・・かしこまりました」
「おっけ。じゃ秀ポン、大黒PAでお茶に付き合いなさい。いろいろ聞きたいこともありますし」
「こ、この格好で・・・・?!」
「返事は?」
「は、はいぃお供させていただきます、美来サマ」
レースクイーンは、中年男のメイドにかしづかれながらエボ5のコクピットに乗り込んだ。
最早、なんでもアリだった。
当然である。ここは非日常空間なのだ。
....その76へ続く(Rushin' into the risk of my Life)