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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その72

18:30 中区本町 速水義徳(38)

根岸産業道路から横浜市街地方面へ営業車を走らせていた。
本町の営業所に戻ろうと、山下公園前の通りに右折しようとして、ふと思いとどまった。今日は身動きの取れないほど車が入っているに違いない。一本先のコンテナ街道を抜けていくことにした。

同僚の若い連中は朝から、というかずいぶん前から準備に忙しいようだった。戸塚営業所の事務員たちとの合コンも兼ねているらしい。私は社の電話やメールを私用で使っているのに目くじら立てるような人間ではないが、なんとなく微笑ましいガキっぽさに入っていけず、楽しそうなやり取りを少しく離れた距離から、少しくの羨望と共に見やっていた。

「どうッスか?速水さんも見に行きましょうよ」
お義理だとは思うが、声をかけてくれるのもいた。
「んーどうしよっかな、俺人ごみって苦手だから」
とりあえずそう応じた。
今頃はお昼頃から出撃した先遣隊と合流して盛り上がっている頃だろうか。

そんなことを考えていたら、ふと、帰社するのが嫌になった。
どうせ電話をしたって、今日はもうだれもいないだろう。

混み合う道路を左に折れ、中華街に入った。
イベントがあっても、ここの中華街パーキングは意外と満車にならない。法外なほど高い料金はちょっと辛いが、長く止めるわけでもないから、まあいいだろう。
さすがに屋上まで登ることになったが、無事車を停めると、港の方を見やった。ランドマークや、ミカンの切れ端のようなパシフィコ横浜の合間に、コスモクロックが見えた。世界一の座をあっさり奪われたせいか、以前より小さくかわいく見える。

不意にあそこから眺めてみたくなった。恐らくはものすごい待ち時間だろうが、桜木町まで電車に乗れば、歩いていっても30分あればたどり着けるだろう。終了までには十分間に合う。

道を渡り、「謝甜記」の脇の通りを抜けて石川町駅を目指した。


19:05 みなとみらい地区

・・・なんとか間に合った。
たどり着いたコスモクロックは、2人連れでいっぱいだった。
かといって居心地の悪さを感じるような私ではない。
もう1人きりには慣れている。彼ら・彼女らを頭の中の風景に閉じ込めてしまうことで、その幸せそうな姿を祝福する気分になる、そんな「詩人の技」もいつのまにか身についてしまった。自分が舞台に上ることは、もう恐らくないだろう。そう思っている。

「・・・申し訳ございません、ただいまの時間、お一方のお客様には相席をお願いしております」
ようやく周ってきたゴンドラに乗り込もうとする私に、係員が声をかけてきた。
「あぁ、そうですか。いいですよ」
そう応じたものの、ちょっとマイナスな気分になった。”どんなヤツだろう?1人の時間を邪魔されたくないのだが....”

黙って一礼して乗り込んできたのは女性だった。20代後半ぐらいだろうか、小顔に少しだけ色の入ったショートヘアが似合ういい雰囲気を持ったひとだが、MICHEL KLEINのシンプルなベージュ系の花柄のワンピースと、少しうつむきがちな表情が存在感を希薄にしているようだ。

私と対角の位置に腰を下ろすと、彼女はまるで活けられた一輪の水仙の花のように、外を眺めたまま動かなくなった。

”緊張しているのだろうか・・・?”
知らない女性に声をかけるのは苦手だが、このままでは自分も気詰まりだし、彼女にも気の毒だ。

「失礼ですが、こちらへはよく?」
「....え、いえ...」外を眺めたまま、彼女は応えた。
「そうですか、いや私も実は近くに勤めているんですが、まだ一度も乗ったことがなかったんです」
「....そうなんですか....私も見たことしか」
「横浜にお勤めで?」
「え、ええ.....」
彼女は言葉を濁した。あまり見ず知らずの人間にプライベートなことを語りたくないのだろう。

ぎこちない会話が途切れた。

が、流れた気まずい沈黙は、ほどなく彼女の白い頬が鮮やかな色彩に彩られると同時に中断した。
「あぁ、始まりましたね!」
「.....そうですね」彼女は窓の外に広がる光の飛沫を、じっと食い入るように見つめた。
ふと、私はあることを思い出した。

「まるで....まるで雪のようだ」
「....え?何ておっしゃいました?」初めて彼女が私を見た。

....私は雪国の長岡で生まれ育った。
「北越雪譜」を引き合いに出すまでもなく、冬の雪は地元の大人にとって迷惑千万以外の何者でもなかった。

長岡は夏の花火でも有名である。それは夏を思いっきり楽しむことで冬の陰鬱をしばしでも忘れようとする雪国の人々の習性だ....ずっとそんな風に思っていた。
「ンだけどよぉ」
そんな話しを、昔文学青年だったという叔父にすると、叔父は言った。
「長岡の人間はぁ、長岡の雪が好きなんよ。いんや、好きともちがうんかな、離れられんのやないがかなぁ。あの『三尺玉』かてぇ、あらぁ夏にも雪を忘れられんがて思ぅた人が造らはったんやとワシは思うがやて」
叔父の顔に、雪国を生きた年輪を感じた。
「人はさぁ、自分で気づかんがうちに、どこかにちゃあんと根っこを張っとるもんや」そういって叔父は笑った。

それ以来、私は花火を見るたびに、故郷の冬の空から舞い落ちる雪を思い浮かべるようになった。夜半に静けさで目が覚め、街灯に照らされてキラキラと舞い落ちる白い粒子たちを、薄暗い窓辺で見やったあの日のことを....

19:20 コスモクロック

「....失礼、少し喋りすぎてしまったようですね」
「いえ....」彼女は少し微笑んで、そして言葉を続けた。
「もし....もしあの花火たちが本当に雪に見える人がいたとしたら、おかしいと思います?」
「いえ、とても素敵なことだと思いますね」私は応えた。
「....本当に?」
「ええ、もしそういう人がいるとしたら、叔父の言葉を借りればその人と私は『どこかで根っこがつながってる』のでしょう」
「そうですか....ありがとう」
また少しうつむき加減で、彼女はいった。
「それにしても、すぐに消えてしまうのね....本当に儚いこと」
「そうですね。花火も雪も....そして人も。そしてまた巡り来る」
「本当に、そう思います?」彼女の目が、まっすぐに私を見た。
「......」
咄嗟に、言葉が出てこなかった。

花火が上がるまでとは違う沈黙が流れた。
ゴンドラは間もなく地上に降り着く。

「あの....握手してもらえませんか」
「え....ええ」
彼女が差し出した白い手を握った。ひんやりとした、真冬の優しい粉雪のような感触が伝わってきた。
つないだ手を離せないまま、永遠のような短い時が流れていった。

19:25 みなとみらい地区

「じゃあ、私はここで」
「ええ」
彼女は短くそう答えると、私に背を向けた。
まだ歓声のあがる海辺の通りを、静かに、足早に去っていく。
彼女が振り返ってくれるかも...という、それこそ淡雪のような儚い期待を抱きながら、私はその後ろ姿を眺めていよう。

せめて、彼女の姿があの路地に消えるまで。




18:20 黄金町 水島典子(21)

「店長、お先失礼しまぁす」
「あ、紫苑チャン今日早番だったね。ちょっと待ってて....はいこれ今日の分ね」
"Femme D'or"の店長が、ホスト系の華やかな笑顔を私に向けた。
あの笑顔を見るたびに、自分がこの世界にすっかり染まっていることを思い知らされる。
「あ、どうもです....」
「今日も頑張ってたね、指名多かったじゃん」
「そうでした?今でもなんかまだ慣れてなくて....」
「そんなことないって、お客さんにも評判いいよ....こないだの話、考えてくれた?」
学校を出てからも、このお店に勤めるという話だ。
「いえ、まだ....会社訪問もいくつか残ってますし」
「急がないから、じっくり考えてね。まだ卒業までしばらくあるんでしょ?」
「ええ、ありがとうございます」
「じゃあ、また明日、よろしくね」
「はーい、お疲れ様でした」

".....本気?"

なんとなくこの世界に入ったのは1年前だった。
何本の男を口にしたか、もう思い出せないほどになっている。最近では街行く普通の男までが、お金を持った肉の塊に見える。
以来今まで、この仕事を好きになったことは一度もない。
だが、なぜか店長の申し出を断れない自分がいた。

「あれぇ、紫苑ちゃん今日早番だったの?」
一目見てそれとわかるブランド物に身を包んだ、お店の女の子達が声をかけてきた。
「ええ」
「これからさぁ、みんなで花火を見に行くんだけど紫苑ちゃんもどお?」
「ゴメン、ちょっと用事があるんだ」
「そぉ...残念ね。じゃまた今度」
「うん、おつかれさま」

明るくて、一緒にいると楽しい仲間たちだ。でも...

"あんた達と一緒にいると『私はフーゾク嬢です』って言って歩いてるようなもんだ"

お店の出入り口になっているダミー会社の通用口を出て、横浜橋商店街を抜けてうちに帰る....つもりだった。
しかしなぜか私の足は、反対側の伊勢佐木町を通って関内へと向かった。
いつもこの時期になると、憂鬱な気分になる。だけど気がつくと、夜空から降ってくる光の帯を凍えた心で眺めている。
"高いところから眺めれば、少しは気分も変わるかしら"
そう思い立った私は、この街にきてから眺めるだけだった、あの夕暮に浮かぶリングに乗ってみることにした。

19:10 みなとみらい地区
旧倉庫街からの長い道を抜けて、ようやくたどり着いた。
案の定、幸せそうな二人連れで一杯だ。私にもそんな時があったような気がするが、はっきり思い出すには私の心は冷え過ぎていた。
「....様、お客様?」
係員らしき男の声に、私は顔を上げた。
「申し訳ございません、ただいま大変混み合っておりまして、お1人様のお客様にはご相席をお願いしておりますが」
済まなそうな係員の声が、憐れみを帯びていたような気がした。
私の顔は、"紫苑"でいる時の夜の微笑を浮かべた。
「ええ、結構です」
「申し訳ございません。どうぞこちらへ」

"どんな人と一緒だろう....まあ誰でも同じだけど"
ゴンドラの中には、冴えない中年の男が座っていた。
男は、こちらを見ると、ぎこちない笑顔で目礼した。
"....いい歳して、何してんのかしら、こいつ?"
こちらも目礼を返し、その瞬間に私の意識の中からその男は弾き出された。

私は窓際に座り、やがて窓外で展開される光が私に虐待を与えるのに耐える為に、身体を硬くした。

何やら男が話し掛けている。適当に受け流すと、今度は私のことを聞いてくる。
"ひょっとして、お客だったかしら....?"
こんな所で咥えた肉と鉢合わせだとしたら最悪である。
私は黙り込んだ。

自分にとってこれ以上ない緊張の高まりの中で、予定通り夜空に光が広がった。私は、身体の全てが砕け散ってしまうのではないかと思うほど冷えていくのを、恐ろしさと快楽相半ばしながら感じていた。そう、まるで....

"まるで....まるで雪の....雪の.."

「.............のようだ」

私の意識に、優しげな声が重なった。
驚いて私は、声の聞こえた方へ顔を向けた。
今この人は、何を話していたんだろう?....

....両親に連れられて、初めて花火を見に行ったのは3歳の時だった。
夜空いっぱいに広がる色彩を、両親も周りの人も歓声を上げながら見入っていた。
だが、私一人違っていた。
私の目に映ったのは、暗い闇の中から、無数の氷の粒が私に降り注いで、心も身体も凍らせてしまうという幻想だった。
何も喋らないままの私に、両親はもっとよく見えるようにと抱き上げて、その氷のような身体の冷たさに驚いたらしい。
だが、私はその時のことをよく覚えていない。そのまま気を失ってしまっていたからだ。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。以来私は、花火を見ることができない子になっていた。友達から誘われる度に、なにかしら理由をつけて断っていた。

断れなかったのは、初めて付き合った男との約束だった。
"この人となら、自分を変えられるかも...."
そう思ったが、やはり身体と心は正直だった。

叢で横になる私に、男が優しく声をかけた。「ノッコ、大丈夫か?」
"この人には全てを知ってもらいたい"そう思った私は、自分のことを洗いざらい話した。
全てを聞き終えた男は、笑って答えた。
「大丈夫、気にすんなって。いつでも俺がついてっから」

....その瞬間、私は理解されなかったことを悟った。
歓声の残る川辺で唇を重ねながら、私の心は冷えていった。
しばらくして、私のほうから別れを告げた。

嫌で嫌でたまらないことから抜け出せない所が、私の中にはあるらしい。
そんなことに出くわすごとに、心を閉じて自分を守ってきた。
毎年花火を見るようになったのは、そんな頃からである。なのに....

19:20 コスモクロック

「....失礼、少し喋りすぎてしまったようですね」
目の前の人は、少しはにかんだような笑顔を見せた。
彼の言葉一つ一つが、雪解けの泉のように私の中を幾すじも流れていった。

自然に、あの問いが口をついた。彼はそれに答えた。

彼は私ではない。
でも、初めて自分が、1人ではないような気がした。
最早、窓の外の光は私を苛む氷の矢ではなかった。

ふと、彼の手が私の差し出した手を包んだ。それは柔らかく温かく、私の心まで溶かしてしまいそうだった。だけど....

19:25 みなとみらい地区

ゴンドラが地上に降りた。
彼に別れを告げると、振り向かずに駅を目指した。
"彼が声をかけてくれたら...."
そう思いつつ、歩をゆるめることができない自分がいた。
今までの私が崩れてしまいそうで....

....その73へ続く(ちなみに現在日本で5位)