調査機関や、調査結果の発表時期によって多少の違いがあるが、早ければ今年2014年、遅くとも2015年にはタブレットがいわゆる「PC」の出荷台数を超えると見られている。
いわゆる「ペンコン」の時代から画面接触型入力デバイスを備えたマシンをこのコーナーで取り上げてきた筆者としては、 「その先見の明を大いに誇っても良い」状況になっている。
....のだが、が実のところ、筆者がそうしたマシンを手にしたのは、それらがリース落ち後、秋葉原おぢゃんく屋の店頭でコンテナいっぱいに放り込まれた後の話である。
おそらくは重用されることなく現場から投棄されたと思われる、それらの「早すぎたアウトサイダーたち」のいぢましさを愛でていた筆者としては、今日彼らの後継者たちが我が世の春を謳歌しているのを複雑な心境で眺めている...というのが正直なところだ。
以前にどこかで述べたかもしれないが「インディーズ時代を知ってるアタシ的には、今の○○はちょっとね...」「○○○4○の▲▲は、劇場時代にボクが育てたんだ」といったゴやヲの心境がチョットわかる気がする。うん、チョットだけですけどね。
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鍵盤奥の黒いのがキャリブレーション用シンボル spaceキーの小ささからしてもSMS専用な雰囲気 |
それはともかく、筆者がずっと持ち続けている「『直接手書き入力+入力と表示の完全な一致(場所的+言語的+画像的)』が実現しない限り、デジタルメディアが紙メディアに取って代わることはない」という持論は変わらない(微妙に条件が付加されている?気のせいです)。 これからもしばらくの間つづくと思われるそのせめぎ合いの狭間に、こうした妙チキリンなプロダクトが登場しては消えていくのだろう(をぃ)。
某所でも某2名が考察していたとおり、このソフトウェアはCelluon社のレーザープロジェクションキーボードと動作原理が同じである。かのキーボードもレーザーはキーボードの映像を投影するだけで、実際のタイピングは本体に内蔵されているカメラが検知する。こちらはそのキーボードを紙に印刷するという力業(?)にでている。
キーボード画像と共に、カメラキャリブレーション用のパターンが印刷されていて、紙の所定の位置にアプリを起動させたiPhoneを置くと、パターンを認識して入力が可能になるという仕組みだ。
まだ試していないのだが、このパターンを使ったキャリブレーションはかなり精妙なもので、逆に印刷紙にシワが寄っていたりすると認識できない可能性がある。
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(左上)こんな感じで使ってね(右上)紙鍵盤ダウソ画面 (左下)QWERTZなんてあるんだ...(右下)いやゲームだけで十分です(^^; |
印刷用PDFはWebサイトからダウンロードするようになっているのだが....出先でこのPDFを印刷する環境が整っているかどうかと考えると、モバイルキーボードとしてはやや使い勝手に問題があると思われる。シワが寄らないようクリアファイルに印刷した紙を入れて持ち歩くという方法もあるかもだが、中に入れたままだとパターンをカメラが捉えられない可能性もある。いちいちケースから出して....いやいや、それ以前にそこまでして使う必要があるかちうことですけどね。
タイピングの検知精度はそこそこ高い。付属のゲームと「quick brown fox....」で何度か試してみたが、LPKBよりも意図したとおりに入力できる感触だったのはちょっとした驚きだった。ただ若干の変態配列で、記号が上段に固まっていること、スペースキーがVとBの間に割り込んで小さくなっているのは少々慣れを必要とするだろう。
機構的に、他のアプリに直接入力できないのはタスク切り替えができなかったiOS4以前の仕様なのだろうか。
アプリに入力→他のアプリにコピペ....というのはやはり面倒だ。特に筆者のようにメッセージ送信よりも文書作成の機会が多いevernote使いだと、そのディスアドバンテージが大きい。この辺も何とかしてもらいたい。
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...ま、日本人の筆者にとっては、上記のような検討を全く無にする致命的な問題がある。「DBCS未対応」なのだ。
iOSは多国語対応が前提であろうし、全角/半角切替のコンビネーションキーも存在する。一方で同作者の「Paper Piano」は10音ポリフォニックを謳っているので、コンビキーの検知も、LPKBと同じ物理的な制限(カメラから見て、ある指が他の指の動きを遮る場合)以外であれば可能なはずだ。もうひとつ言わせてもらえば、作者の国籍は不明だが、名前からして中央ヨーロッパないしはロシア....2バイトコード圏内の可能性がある。
にもかかわらずDBCS未対応なのは、何か事情があるのだろうか。是非とも対応をお願いしたい。
.....といってはみたが、基本的には「○ロモノ」系のソフトと感じる方が多いだろう。筆者もその一人だ、現在のところは。
コンセプトとしては面白いと思う。アプリ側で、あらゆる言語に対応できる可能性を秘めているからだ。問題はその「使える」領域に至るまで、開発資金と、なにより開発者の「やる気」が続くかどうかだ。
MS-DOS時代から多くのシェアウェア/フリーウェアにお世話になってきた筆者の私見としては....
......ま、とりあえず頑張ってください。陰ながら応援しています。ハードウェアKB派として。
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(2014/01/13記)
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