ここのところ「撮り鉄」が世間を騒がせている(...というかマスコミが騒いでいる)。
筆者が現役の「鉄」だった頃には、確信犯的に「いいアングルで列車を止めたい」と、保線区の小屋に放火した奴がいたぐらいだから、線路脇で撮影して図らずも列車を止めてしまったなどというのはまだ可愛い方だと思うのである。
「鉄」が文化として認知されつつあるとはいえ、まだまだ一般社会の人からすれば「キモヲタ」で理解し難い存在なのかも知れない。
筆者が問題に思うのは彼らの行動ではない。
列車を止めたために、それこそ数百万単位の賠償を請求される事もあるということも彼らは当然知っているはずである。
そうしたリスクを対価としてでも、いい写真を撮りたいという熱意の発露にほかならないからである。
いや、もちろん人身事故の危険をもはらんでいるのだから、その点は問題視しなければならないだろう。
しかし「列車との接触の危険性」を論ずるならば、彼らの行為よりも、頻繁に行われる「踏切突破」の方がはるかにリスクが高い。
筆者の視点からすると、彼らを危険な存在として片付け、理解不能なモノを非難や嘲笑、そしてより厳しい規制の中に閉じ込めて安心しようとする群集心理と、それにつけ込んで人気を得ようとするマスコミの報道姿勢のほうをこそ問題と思うのである。
.....話がそれた。というか、つい昔の鉄血が騒いで、本題を述べるのを忘れていた。
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言迷のRev.B ネット上に該当するOEM型番情報が見当たらない |
何が言いたかったのかというと、人の主義や嗜好は、多種多様だということだ。
他者に同意し難い部分があったとしても、そういう主義主張が存在する事を理解しようとすることが大事なのであって、そうした意識を抱いていれば、ある時その先鋭化した先端部分で、共感を抱き合える部分が発生した時、お互いにとって新たなる展開が生まれるのではないかと感じるのだ。
もっとも避けるべきは、本来は特異なものであるはずの個人の経験や主義・思考を「一般論化」して、それを普遍的なモノとして狭小な原理主義に凝り固まってしまうことだろう。
筆者が自らの記述で「〜と思う」をやたらと使用するのは、そうした陥穽に陥らないよう、自らを戒めているから....だと思うのですけど。
で、ようやくここからもの凄く矮小な世界に突入するのだが、キーボードの嗜好も人それぞれなのだな....と改めて感じる。
筆者は今のところ、基本的に『クリック感のある、剛性の高いフルキーボード』が「良いキーボード」だと思っている。
そうした嗜好からすると、このキーボードはなかなかに微妙な位置づけになる。
ネット上の資料によると、この日立CMI-6D0Z4の「Rev.A」は、著名なサイトで評価の高い「ミネベアMNB RT6652TWJP」のOEMということのようである。
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