PENTAX ME-Super


製造元 旭光学
諸元 オート露出/シャッター8秒〜1/2000秒/f1.4〜22 50mm標準
Junk Point 亡き友人に捧ぐ
備考 「小型」を売りにしていた旭光学が1980年に発売した一眼レフである。

当時このサイズで1/2000秒高速シャッターは画期的だった....らしい。その上オート露出を備え、絞り開度と光量に応じてシャッタースピードを自動的に調節する機能も、ファインダーの中にアナログメーターが上下する父のニコンに慣れ親しんでいた筆者には新鮮だった。もっとも今日のフルオート機と比較すると「どこがオートなんだ?」という疑問をもたれるのはいたし方の無いところである。

筆者はこのカメラを高校生の時に入手し、その後日本各地の鉄道に乗り歩く時に必ず連れて行った。
おかげで現在でも筆者の許には夥しい数の、有象無象の鉄道写真やら風景写真やらが残されることになった。
1回の旅を我慢して、ズームレンズの一本でも買えば良かったのだろうが、旅を優先させた筆者は遠景から接写まで全て50mmの標準レンズで通した。おかげで画質に関しては論評にも値しないようなものがほとんどである。

で....問題はこのカメラが筆者のもとに来た経緯である。

借りたものを返さない筆者の悪癖は以前にも述べたが、実はこれもその例に漏れない。ただしこの品に関しては「共犯者」が存在する。

きわめて内向的だった高校時代の筆者が、初めて出身町以外の友人を得たのは高校生活も2年目に入ってのことだった。同じく内向的で、かつ出身も似たような遠い山里から高校のある町に下宿していたO君とは、互いの共通点と、少しばかりの相違点とがうまくかみ合って、物象部(科学部)や社会問題研究会など、様々な校内での活動を共にすることになる。

そんなある日、彼と私はなぜか学校の地学準備室にいた。

当時我々生徒の間でその名も高き「学校史上最低の理科教師」が管理するその部屋で一体何をしていたのか、今となっては思い出せない。....が、なにやらあちらこちらを物色するうちに、我々はまっさらな箱に入った新品のこの一眼レフを発見した。

「なぁ....もこっち君、これ使こてええんかなぁ?」
「んー....どうせあの○○先生が使うわけないもなぁ...」

話はアッサリまとまった。
筆者がカメラを「とりあえず借りて」管理し、必要な時にO君も使用する。
そうしてこの「学校にとって不相応な」カメラは働き場所を見出されたのだ。(笑)

だが....彼がこのカメラを使ったのは1、2回もあっただろうか。
その後、卒業して後も彼に会うたび「あの『ペンタ』はどうしたん?」と突付かれ、そのたびに誤魔化していたのだが.....

今ご覧の通り、このカメラは相変わらず筆者の手許にある。
だが、筆者が彼にこのカメラを貸すことは永遠に出来ない。

彼が時空の彼方に去ってから、まもなく10年目の春がやってくる。

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