おそらくは視聴者の年齢層が変化した所為だが、アニメに対する科学考証が厳しくなっている今日この頃である。
以前なら単艦行動の航宙巡航戦艦が星間国家の首都を壊滅させたり、大気圏内飛行を想定していないのに翼を持つ艦載機が光速の1/10でドッグファイトをしても「をを、すげぇ」で済んでいた。
今の作品でこのような設定をしたら...恐らく某板で祭りになるか「それはネタですか?」で片付けられて終わりだろう。
それ故か、何かと無理無理な設定の多かった前出の「戦艦vs.帝国」のリメイク版でも、科学考証を専門家に依頼してツッコマれ所を減らす努力をしている。
そして....こちらもリメイクと言っていいのだろうか、シリーズ第3作の先行ティザーが「専門家が制作に参加しているとしか思えないほど航宙力学に忠実」と評判になった。
商業創作の世界では、単純明快なストーリーに飽きたユーザーがさらに深い内容を求め、制作側もそれに応えるべく複雑なプロットを用意し、そしてまた飽きたユーザーが...といういたちごっこが展開されていくのが常なのだろうか。
そしてある日、余りに難解なストーリーのドラマに疲れた人々が、パターン物にハマるという原点回帰を起こすのかも知れない。筆者が某隣国から輸入されたドラマを観た時に感じたのはソレだった(尤も、これも知恵を絞るのに疲弊した制作側...というか配給元[メディア]が安直かつ安上がりなコンテンツを推したという側面の方が大きいが)。
ただ一方で、作品の鑑賞者は、プロットの科学的に不備・不明な点を疑問に感じたとしても、それによって作品自体を否定することを必ずしも望んでいないのではないか。
むしろ制作の側にその説明を求め、より深遠な設定や、あるいは解釈の余地を与えられることで、さらに作品世界に入り込んでいくように思われる。
実際、前出の戦艦モノのリメイクでは、当時の視聴者だった少年たちが、「いつかオリジナルの疑問点を整合させた作品を作ってみたい」という意欲のもと、実に30年以上の時を経て作品を生み出す側になっているし、説明されない解釈の余地はネット上やコミケにおける「二次制作」を生み出す母体となっている。
「鑑賞者」の立場から作品解釈を我が物とするカタルシスと、自らの手で作品を更に(特に自分にとって)納得のいく物に再構築していく面白さは表裏一体のものであると思うのだ。
その観点からすると「議論の余地を与えないほど精緻な科学考証」や「一般的な知識では解釈が困難なほどの難解なプロット」を持つ作品は、作品としては一定の評価を受ける一方で、一般の鑑賞者からはやや敬遠の目で見られるのではないだろうか。
筆者は「エヴァ劇場版」の全編を見ていないので断言は出来ないのだが、TVでのティザーや劇場での予告を見る限り、その種の匂いがどうしても感じられてしまうのである。
いずれにしても視てくれる多くの視聴者がいて、作品品質的に山頂から底辺までを構成する数多の制作者がいれば、一定の品質の作品が継続して生み出されることになるのだろう。
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