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短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−


その111

その屋敷は岬の突端にあった。

そこには、全てがあった。
快適な居間、豪華な食事、広い浴場、快適なベッド、知識欲を満たす古今東西の書物の数々、そして....。
それは当時の庶民が望んでも得られない、憧れの数々だった。
ただ一つ、「閉ざされた未来」を除いては。

西の海に面した応接室の、巨大な柱時計が7つ鳴った。
1日に1時間も進むせっかちな大時計だ。

大野俊三(25)は、『狂った時計より止まった時計の方が良い。1日に2度正しい時を指す』というユダヤの諺を思い出していた。
時の止まった今の自分が本当だとするならば、狂ったように労働運動に東奔西走したあの時の自分はいったい何だったんだろう・・・・?

日本有数の財閥の長男である俊三は、仲間の中で常にそれを引け目に感じ、それがゆえに先頭切って運動にいそしみ、官憲とぶつかった。
ある日、アジトが強制摘発された。
俊三は、仲間と共に捕らえられた。だがすぐに別室に移された。
そして翌日、俊三だけが釈放された。担当の刑事が苦々しく語るところでは、仲間は特高送りになったようだ。
財閥総帥の父の力が働いたことは疑うべくもない。

そして迎えに来た父の手の者によって、この館につれてこられた。
岬の周囲は断崖絶壁で、町に通じる一本道には警備所が設けてある。
いわば父が息子に用意した「監獄」であった。
そして俊三は、この監獄で精神的に死亡した。

いつも夕暮をつげる柱時計の鐘が鳴り響くと、俊三は迎える人もいない応接室にやってくる。
窓から差し込む、熟したトマトの色にも似た夕陽のなか、俊三は磨き上げられたフロアに倒れ込んだ。
どの持ち主の趣味か、磨き上げられた銅板で作られた悪趣味な天井に、血の海に沈んだような俊三の姿が映る。
そんな自分が見えなくなるまで身動きもせずに寝ている時間が、俊三は好きだった。・・・・

・・・・「血圧、脈拍ともにとりあえず安定しましたが、予断を許さない状況です。ひとまずご親族の皆様にはお集まり頂いた方がよいかと....」
主治医の冷静な言葉が無機質な病院の白壁に響いた。”私は最善を尽くしました”そう医者の気の毒げな表情が語っている。
「ありがとうございます」
「では、私はこれで。何かありましたらナースコールを」
「はい」
「....はぁぁ、やっとね」
「そんなこというもんじゃないよ、美砂ちゃん」
「構わないわよ、どうせ聞えてないんでしょ....うちらとしても長いこと世話したわけだし、もうぼちぼち」
「おいおい」
「そうね、美砂の言う通りだわ....歩けなくなってからは意固地になるばっかりで、一緒に暮らしてた雅美さんも大変だったでしょ?」
「え、いえ....」
「とにかく、お式の手配だけはしといたほうがいいかもね。会社関係の付き合いだけは広いおじいちゃんだったから」
「ホントにねぇ....『あの人』が倒れるまでは手広くやってたのにねぇ」....
「やっぱり奥さんに先立たれた男の人って、その逆より早く死ぬっていうのは本当なのね」
「奥さんじゃないでしょ....それにまだ死んでないんだし」
病室に集った一同は顔を見合わせた・・・・

・・・・応接室のドアがノックされ、重々しい音を立てて開いた。
「やはりこちらにいらっしゃいましたか」
優しく響くその声の持ち主は、それも父が屋敷と共に俊三に買い与えた玩具のひとつだった。
「あぁ.....郁さんもこっちに来て座りませんか?」
俊三は女給仕の名を呼んだ。
「え、あの....まだ夕食の用意がございますから」
「いいよ、そんなもん後で。どうせ僕だけなんだから....」
「そうですか、では....失礼致します」
女給仕の今宮郁子は、俊三の隣に来ると、床にちょこんと腰を下ろした。

郁子は有能で、明るくて、そして美しい女給仕だった。屋敷の一切を一人で切り回し、俊三の身の回りを親身になって世話してくれた。3度の食事、屋敷の掃除、時には俊三の話し相手、そして俊三の....


ミモレの黒いサーキュラースカートの裾をなおしながら、郁子は俊三にたずねた。
「いつもここで何を見ておいでなのですか?」
「んー.....何だろうね。僕にもわかんない。何も見えない人生だし」
「そんな....俊三様には未来があります」
「ないよそんなもん....僕には多喜二の文才も、秋水の侠気もなかった。あるのは仲間を裏切ったという過去があるだけだよ」
「俊三様....」悲しげな目で郁子は俊三を見た。
「ごめん、またこんな話をしちゃって....ふっ切れたつもりだったのにな」
「いえ、いいんです....」

郁子が俊三の元に来たのは14歳の時だった。無邪気に明るく振る舞う郁子のおかげで、俊三もようやく少し笑顔が戻ってきた。
あれから6年、たった2人の屋敷での生活の中で、少女だった郁子は大人の女性になった。
あの頃と変らず黒のエプロンドレスに包まれた郁子の体は、少年のような体型から柔らかな曲線を帯び、青い果実のようだった胸は大きく実りの時を迎えている。

そして俊三はその変化の全てを、その手で、その全身で感じていた。

「申し訳ありません。私が至らないばかりに、俊三様にお辛い思いばかりさせて....」
「.....そんなことないよ。僕は郁さんのおかげでどれほど助かっているか」
「俊三様....」
「郁さんこそ、毎日こんな僕のことばかりで.....いつもすまないと思ってるんだ」
「そんなことありません!」思いがけない郁子の強い返事だった。
「郁は...俊三様のお世話をするのが郁子の幸せなのです....できればこれからもずっと....俊三様は...こんな私がご迷惑ですか?」
潤んだ目が、まっすぐに俊三を見た。
なんだかいつもの郁子と様子が違う。
「・・・・」
返事を返す代わりに、俊三は顔の横に広がった郁子のスカートの下にそっと手を忍ばせた。
「あ、俊三様....」
「....じっとしてて」
俊三の指先は、白のオーバーニーソックスを履いた郁子の細い脚を伝っていった。ソックスが途切れると素足に触れ、そしてガーターベルト伝いに更に奥へ....
「.....い、いけません俊三様....床が汚れます....」
その言葉に構わず、俊三は進んだ。

薄いペティコートを手繰ると、そこに郁子自身が触れた。
「....ん..っ」
少し腰を浮かしかけた郁子だが、俊三の言葉を律義に守るようにその場を動かず、身体の熱さに耐えているようだ。俊三の指が郁子自身を弄ぶたび、彼女の奥から泉が溢れ出てくる。何度目かの熱い波の後、ついに郁子は俊三の方へ倒れかかった。
「俊三様.....お願い...です」
「いいよ」
「は....い...頂戴します」
郁子の顔が、俊三の両足の間に埋められた。
「う...くっ」
郁子の小ぶりな唇が、長い俊三を包んだ。そのまま舌を這わせ、上下にやさしく撫でさする。俊三の目に、郁子の白いカチューシャが揺れるのが写った。
俊三の顔は快楽に歪んだ。

屋敷に来て初めての夜、郁子は俊三のなすがままに身を委ね、苦痛に耐えるだけであった。
それが今....俊三のために美しく、艶めかしく成長した郁子がそこにいる。

「い、郁さん.....ここへ」
「んん...っ」郁子は惜しむように、俊三を口にしたままだった。
「ほら、来て....そのままで」
「はい....失礼します」ようやく唇を離すと、その白い手で俊三を自分自身に導きながら、そっと腰を下ろした。

俊三の上に、郁子のスカートのフレアがふんわり開くのが、磨き上げられた天井に映った。
「はぅっ.....」郁子が切なげな声を上げた。
「さあ、郁さん....どうしたの」
「え...あ...あの」
「ほら、もっと腰を降ろして」
「お、お許し下さい....俊三様...郁子は...」
「どうして?」
「あの...俊三様が....」
「僕が、どうしたの?」
「その....私には長すぎて...当たってしまいます」
「僕の、何が長すぎるの?どこに当たるの?」
「ああっ、俊三様の意地悪....」

いつもの、2人だけの言葉の遊戯だった。
俊三は、小柄な郁子の身体を貫こうと突き上げた。
「ああっ、今日は、今日だけはお許し下さい...俊三様....」

白い縁取りの黒い大輪の華が俊三の上で跳ね、しぼんたり広がったりするのが見えた。
言葉とは裏腹に、次第に動きが激しくなっていく郁子だった。....

.....それから俊三は郁子を2回求め、疲れきって2人はすっかり暗くなったフロアに倒れ込んだ。

その間、何度も大時計の時の鐘を聞いた気がするが、せっかちなあの時計が進んだせいだろう。

「素敵だったよ、郁さん」郁子の短い髪を弄びながら、俊三は言った。
「俊三様....」郁子の目が、どこか寂しげに俊三を見た。
「どうしたの?」
「・・・・」郁子は上体を起こすと、俊三に頭を下げた。
「俊三様、突然ですが郁は暇を頂戴したいと思います」
「・・・!なんで?!」
「郁は、俊三様のおそばにいない方がよろしいと思います。私がいては、俊三様にご迷惑が....」
「そんな....!だってさっきまでずっとって....」
俊三はうつむく郁子を見た。
「僕が嫌になったのか...そうなのか?それとも誰か他に....」
「そんなことありません!郁は誰より俊三さまのことを...」
「だったらなぜ....?僕はこれからもずっと、郁さんと一緒に...できれば2人の....まさか?!」
「・・・・」郁子は黙ってうつむいたままだった。
「まさか.....まさか.....僕の....」
郁子はようやく顔を上げた。
「俊三様に隠し事はできません....でも、それが俊三様のご将来を縛ることになるのなら....郁は」
「そんなことない....」
俊三は郁子を抱きしめた。
「そんなことないんだ.....」

俊三は暗闇の中で、小さな光を見た様な気がした。・・・・

・・・・「心停止、血圧低下....瞳孔反射消失.....脳波停止。ご臨終です」
さすがに一世紀を生きた老人の最後のその瞬間、周囲は粛然とした雰囲気に包まれた。
唯ひとり、今年3歳になる大野郁美だけが病室に活気を与えていた。俊三が名付け親になり、それこそ目に入れても痛くないほどに可愛がっていた曾孫娘である。
あの日から75年、自身の強い希望で籍も入れないまま俊三に女給仕として連れ添い、ひっそりとこの世を去った郁子に面影がよく似ていた。

その郁美が何を思ったか、動かない俊三を見てベッドに飛びうつり、両親の制止も聞かずに俊三に馬乗りになったかと思うと、大声を張り上げた。

「こらあああっ!!ジイジィ〜っ!!起きろぉっ!!!」

郁美は楽しそうに、まだおむつで膨れ上がった小さなおしりを俊三の上でバウンドさせた。
「・・・・?」
ふと、郁美のおしりになにやら長くて硬いものが当ったような気がした。
郁美は怪訝な顔になり、俊三の顔を覗き込んだ。

・・・もう魂を持たないはずの俊三の顔が、微かに笑ったように見えた。



....その112へ続く(天国へ登るおじいさん....)