変な話Indexへ戻る

短期集中連載(笑)

−この物語は、フィクションである−

その47

雪がやみ、枯れ木立の合間から久しぶりに素晴らしい星空が零れ落ちてくるようだった。あれほど吹き荒んでいた北西の季節風もぱったりと止まり、辺りは静寂が支配する白い夜となった。

稲城は厳寒の中、吹雪と見紛うばかりの星屑たちの美しさに圧倒され、身動き一つせずひとり天を見上げている....のではない。どこでどう間違えたのか、学校と自宅の間にある鶴間坂をショートカットする崖の階段から外れて雪の深みにはまり、文字通り立往生してしまったのである。眼下には自宅のアパートの灯りが間近に見えるというのに、進みも戻りもならない。ただでさえ冬場は凍結して車はおろか、歩いて通ろうとする人もほとんどいない急勾配の鶴間坂を、更にショートカットしようという階段である。元はといえば、冬の金沢でこれほどの道を通ろうというのがそもそも無謀なのであるが。
意外に温かい雪の中で稲城は
「生きて帰れるかなぁ・・・?」
とちょっと不安になった。

その日、金沢は朝から風雪に見舞われていた。朝方はまだ大粒のボタン雪だった。こんな降り方の日はあまり積もらないのが雪国の常識である。「この程度の雪なら....」と稲城もいつものように自転車で鶴間の急坂を登った。途中から流石に雪で滑って登れなくなったが、ここで諦めるような稲城ではない。雪の中、自転車を肩に担ぐとすでに所々踏み固められてアイスバーンになった坂をサクサクと登っていった。町中はすでに二輪通行禁止になっているようだが、忠実に守っている人はいないようだ。
学校につき、いつものようにモルモットを解体し、機械にセットして実験を開始する。夏場は死ぬほど暑い研究室だが、冬場は旧式のスチーム暖房が効き過ぎて室内だけ小春日和である。ついうとうとしながら、気が付くとお昼になっていた。同じ研究室の人間と別棟の学食に行くと、外は様相が一変していた。雪はサラサラの粉雪に変わり、強風とあいまって地吹雪のようである。見はるかす学部のグラウンドはすでに白一色で、ものの3時間も経たない内に50cmは積もったようだ。
「これは失敗したかな?」
チャリンコで来た事を後悔しながら、今日は早めに引き上げようと思った。
午後の実験はおざなりに済ませ、ぼちぼち帰ろうと片づけ始めたところで、研究室の教授とバッタリ鉢合わせてしまった。
「稲城君、明日のセミナーの和訳、終っているかね?」
「あ、は、はい....今日家に帰ってやろうかな...と」
「困るねぇキミぃ、前日までに私に提出してもらわないと。今日これからでもできるだろう?待ってあげるから早くやりなさい」
「・・・・・ハイ」
雪国の夕暮はまさに釣瓶落としである。稲城がヒイヒイ言いながら専門英語と挌闘しているうちにあたりは真っ暗になってしまった。しかも雪は絶えず窓を叩き、ひたすら降り積もり続けている。
ようやく和訳を終えた稲城は、「タヌキ穴」教授室に原稿を届けると、一目散に研究室を後にした。
雪はすでに小止みになっていたが、研究室横の植物園の物置はすでに軒先まで埋っている。まともに歩けば胸の辺までありそうな深さだ。稲城はなるべく学部の軒先を回り込みながら、なんとか医療技術短大の横を抜けて、件の坂を目指した。ここら辺は市内でもあまり人通りの無いところである。だれかが雪こぎをしていってくれたようだが、そのために却ってV字の溝ができて歩きにくい。体力はいるが稲城は新しい獣道を開拓しながらひたすら進んでいった。

そして鶴間坂である。ここもすでにどこが崖だか道だかわからないほどになっていた。しかし逆にこれだけ降り積もると多少道を外れて崖に落ちてもたいしたことはない....そう多寡をくくって突入した稲城だったが、やはり雪国の夜道は甘くなかった。
崖の階段に踏み込んだのは魔が差したとしかいいようがない。数mも進まないうちに稲城の視界が大きく傾き、「ヤバイ」と思って蹴り上げた崖側の左足が深く雪にはまって抜けなくなった。右足を踏ん張ってなんとか脱出を試みようとしたが、こちらはなぜか足下が空ろでまったく力をのせられない。まるで落とし穴と獣ワナに片足ずつ突っ込んでしまったような格好で、稲城は冬の枯れ木立の仲間入りを果たしてしまったのである。

とりあえず自宅は目の前なのだが、こう夜も更けてきては通行人に助けを求めるのもあまり期待できそうにない。さてどうしたものかと考えるうち、不意に右足の足下が崩れて、稲城はさらに胸まで雪に埋もれてしまった。しかしそのおかげで右足は何か固いものに乗っかる事ができた。
「はて、こんなところに足場があったっけ....?」
すこし首をかしげ、そしてすぐにそれが何か気づいた途端、稲城は不吉な感触に囚われた。
そこは墓地のど真ん中だったのである。

稲城がこの街に来て以来住んでいるのは、崖下のワンルームである。ロケーションの悪さはあるにしても妙に安い家賃だったが、学校に近いという事もあって特に気にも留めず入居した。
しかしその理由はすぐに知れた。
このワンルームの大家さんは、建物の目の前のお寺であった。しかもこの地は加賀一向一揆の中心地で、寺の裏手、すなわち鶴間坂の崖下にはその当時犠牲になった一般庶民や歴代の僧侶のお墓が立ち並んでいる。先程稲城が踏んづけたのも、そうした墓石のひとつにまちがいなかった。

入居して間もなく、稲城は夜中にドアをたたく人の気配を感じた。
”どうせまたヒマな友人が押しかけてきたんだろう”
稲城は無視して寝る事にした。
しかし鍵をかけたはずのドアが開く音がして、何者かが部屋に入ってきた。”あ、あれ?鍵をかけた筈なのに....”そう思う間もなく、黒い影が稲城の方に近づいてくる。起きて身構えようとするが、体が動かない。
”お、おーい・・・”稲城は慌てた。黒い影は稲城にのしかかり、その重みのせいか彼は動く事も、また息をする事もできない。
やばいっ・・・っと思ったところで、ハっと気が付き、目が覚めると、別に部屋の中には誰もいない。彼1人だった・・・

・・・そんなことが何度かあって、どうやらこれが家賃が安い原因だと悟る稲城であった。

....そんなめにあっているにもかかわらず。
よりによってそのアヤカシの原因かもしれない墓石を、こともあろうに踏んづけているのである。元々霊感があるほうではなかったが、さすがにここ数年の経験からこれはまずいと思った。
そのとき。

どっこーん。

例のごとく何者かが上からいきなり圧し掛かってきた。
しかしいつものようにじわりとではなく、なにかに直撃されたようである。
今度は完全に雪の中に埋没してしまった。
どうやら崖上の雪が崩れてきたらしい。先日もやはり崖下の一軒家に下宿する同級生が雪崩に直撃され、家が半壊したばかりだったが、まさか己の身に降りかかるとは思っていなかった....
目の前が真っ暗になる。呼吸も苦しい。
これはまぢでヤバいぞ.....

....布団の中で、稲城健夫(36)は目を覚ました。

彼の上には、今年3歳になる長男がのしかかったままいびきを立てている。
布団の上で毎夜のごとく雨を降らせ、雪崩を起こす甘えん坊なカミナリ様を横に押しやると、稲城は2階の自室に上がり、窓から外を眺めた。

そこには、あの日と変わらない星空が広がっていた。


....その48へ続く(雪の降る街を〜)